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kazのこんなカメラ㉚ Leitz Leica IIIf


「どうした!?」

 そんな声が聞こえてきた気がする。

 私の手持ちのカメラを紹介していくコーナーは、まず初回からPENTAX SFX-Nとかいう不人気カメラを中心に、やれチェコだソ連だ東ドイツだ自衛隊仕様だと変なカメラばかりを紹介してきている。
 そこは、お前ZorkiとかFedじゃないのかよとか言われそうなのは判ってはいる。


 自分をライカだと思いこんでいるZorkiの図

 ことライカに関する話題というものは少し冷水を掛けると簡単に火が付き燃える金属ナトリウムのような危険物なのだが、折角このコーナーも30回目ということなので試しにこのカメラについて語ってみたい、と考えてみた。


 

ライカの何が凄いのか


「ライカ」というとなんかこう高級で、プロが使っていて、なんかこうさいきょーのカメラだ、というイメージがあるかもしれない。
 そもそもライカは一体何が凄いのか、というと今巷に出回っている35mmフィルムカメラが生まれる切欠となったカメラなのである。
 ライツ社という会社の技術者であったオスカー・バルナックというおっさんが映画用フィルムを弄っているうちに35mm判の映画用フィルム2コマを使用するカメラを作った。これが1913〜1914年頃の話と言われている。

 このカメラが10年後くらいに量産される。
 「ライツカメラ」略してライカの誕生だ。

 ライカが使用していた35mmフィルム2コマ分 24×36mmというフォーマットは後の35mmフィルムカメラのスタンダードフォーマットとなった。従って別名「ライカ判」とも呼ばれる。

 このライカ、通称として元の開発者のおっさんの名前から後に「バルナックライカ」と呼ばれることとなる訳だが、これが報道や戦場写真の分野で大活躍。
 ライカに追いつけ、ライカを追い越せ、ライカを真似ろ、と1930年代の35mmフィルムカメラは発展していった形となる。

 ライカにはライバルがいた。

 それがツァイス・イコンが送り出したContaxシリーズであり、ライカVSコンタックスというのは以前にも取り上げたことがあるが当時から可燃性の高い話題だったのだ。


 Contax I。ちなみに私はContax派ではあるのだけれど、客観的に見た場合、

「機械としてよく出来ているのはContax、道具としてよく出来ているのはLeica」
という結論に至っている。

 このライカをコピーする事で先程のZorkiや日本のカメラメーカーは発展していくこととなる。
 まあ中には周りの会社がライカやコンタックスを参考にカメラを作っているのに何故かプラクチフレックスとライカの間の子みたいなカメラを作ったメーカーもあった。お前だぞ旭光学。

 ライカは何が凄いのか、というと世界中に存在する35mmフィルムカメラというジャンルそのものの生みの親であるという事である。
 オスカーバルナックとかいうおっさんが映画用フィルムを使うカメラを試作しなければ、35mmフィルムカメラは存在してもより小規模だったか、ひょっとしたら存在しなかったかもしれない。
 そして様々な紆余曲折がありながらも現在もカメラを作り続けているトップメーカーでもある。

なんでライカを買ったのか


 これ、割と謎なんじゃないかな。私みたいな由緒正しいプロレタリアートが(安い)バルナックライカとはいえ何故手を出してしまっているのか。

 実は私はフィルムカメラを初め、PENTAX MXから東ドイツのPRAKTICAとカメラを買っている中で、
「レンジファインダーのカメラってどういう理屈と仕組みでピント合わせてるんだろう」と割と好奇心があったりした。
 当時目黒にあった三宝カメラさんでバルナックライカ35000円を見て(いやカッコいい、ものすごくカッコいいけど始めたばかりの趣味にこの金額は……)と我慢しながらPENTAX SPを買ったりしていた。

 直後にContax Iとかいうめちゃくちゃ高いけど物凄くカッコいいカメラの存在を知り、まずは練習用にKIEVをebayから輸入することになったわけなんだけれど(そしてソビエト沼に落ちる)、いずれContaxとLeicaを並べて比較したい、という悪い病気が始まってしまったのだった。
 この病気は私の持病の中でも特に悪質な病で、例えばヨーロッパのミヤマクワガタを飼育すれば国ごとに集めだす、食虫植物を栽培すると近い品種や亜種ごとに集めだす、と凶悪な症状が発症することがある。

 よりにもよってソビエトレンズを割安で買うためにEbayのアカウントまで作ってしまっており、その気になれば海外から輸入が出来る環境まで整ってしまった。そして、自分へのクリスマスプレゼントと銘打ってドイツから綺麗なライカIIIfを購入してしまったのだ。あーあ。


ebayをどうして信用してしまったのか


 さて届いたカメラは説明どおりぴっかぴかの逸品。「多分展示用に使われていたもの」「mintコンディション」と書かれていただけのことはある。
 当時はユーロが死んでいたので25000円くらいだった記憶がある。


 ※まだ純正レンズを買うお金が無かったのでJupiter-8を付けて使っていた

 そして喜び勇んでバルナックライカの「作法」を覚え意気揚々と横浜に試写に向かう。

 出てきた写真が……


 Oh...…

  いや、なんかこうヘタってるなあとは思ったんだ。シャッター幕が。でも撮ってみれば平気じゃないかなあと。ええ。
 結果はシャッター幕劣化・シャッタースピード異常による撮影不良のジャンク品という手痛い結果であった。
 ebayのmintやEXC表記は信じたらダメだぞ。SR-T102とかPETRI MF-1、ニッケルゾナーなんかでもヤラれたことがある。ただ、まあ見た目は綺麗だったしまだマシな方だったかな。

はじめてのオーバーホール


 そういう理由で、折角のガワがピカピカのライカを生かさない理由がない。ちょっと追加でお金は掛かるが、元々割と安く手に入ったのだからオーバーホールに出してやろうと。
 ところが当時の私は右も左もよくわかっていない状態。
「バルナックライカ オーバーホール」「ライカ 修理」などのワードで検索して見つかったお店に件の症例をメールで送り問い合わせる。
 オーバーホールを快諾していただき(しかも安かった!!)無事、外見ピカピカでバッチリ動くライカIIIfが手元に帰ってきた。


 距離計部分には社外品のものではあるがオレンジフィルターを取り付けてある。これによりピント合わせの際のコントラストが際立ち、ピントが物凄く合わせやすくなるのだ。

 帰ってきたライカを操作して私は思わず声をあげた。

「ぬるっぬるじゃないかこの操作感!!」

 まるで絹のような滑らかなフィーリングと精密感、これは確かに当時の最強トップメーカーのものだ。間違いない。
 Contaxの操作感が「操作することそのもののメカニカルな楽しさ」なら、
 ライカの操作感は「操作していることを意識すらさせない」ものである。

 元々このIIIf型を使っていたオリンパスの米谷氏がこのライカを目標にしてその弱点を補うためにM-1を考案したというのも頷ける話である。


 ちなみにLeica IIIfとOM-1を比べると横幅はほぼ同一となる。


おさんぽライカ


 こうして手元に戻ってきたライカだが、このカメラはおさんぽ用に使用するのに非常に適している。
 交換レンズや外付けファインダーに頼らず、なんなら露出計も置いてきてエルマーで適当にパシャリと映す、そういう気楽な使い方をするのに非常に適している。


近所のねこ


いちご狩り農園の端っこ


どこかのフィルムさんぽでサブカメラとして

 やはりモノクロは合う。


ロンドンの傾いた標識


ボウモアの街並み


カリラ蒸留所 

 イギリスにウイスキーを飲みに行った時もこの気軽さ・軽快さは活躍し、持ち込んだ3台のフィルムカメラで一番使ったのはライカだったなあ。


 純正のレンズはエルマー一本しか持っていない。勿論コスト的な面もあるが、私の使い方ではエルマー一本あればそれでいいのだ。強がりじゃないぞ。

 L39で凝ったことをしたい時はより高機能なCanon VTを使う。


バルナックいいよね


 そんなわけで、なんだかんだ言いながら私はバルナックライカはかなり好きな方のカメラである。M型は、ほら、高いじゃん……
 ただし最近は持ち出す機会が少し減ってしまっている。

 それは引っ越したら自家現像が出来ない環境になってしまったからである。

 浄化槽なので停止液とか流せなくてさ……下水道に工事するとそれこそM3が買えるくらいの金額になるし……うう……

 ちなみにこの手のカメラにフィルムを装填する時にはベロ出し加工をした方がいいのだが、ヨ◯バシやビッ◯カメラ等に現像を出す場合、ベロ出し加工をしたフィルムは改造フィルム扱いとなり現像料と納期が2倍になる事があるので気をつけよう。





 どうだ、よく写っているだろう?




 まあこれはZorkiの作例なんですけど。



kaz









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