kazのこんなカメラ㉕ ZeissIkon Contax I
Contax派かLeica派か、という会話はカメラ界隈では頻発する宗教戦争の一つである。類義語にキヤノニコ戦争。
コロコロ派かボンボン派か、きのこ派かたけのこ派か、サイバトロンとデストロンどちらの心と一緒に行くか等の問題とは歴史や深さが比にならないほどの宗教戦争で(なにせ戦前からあるネタなのだ)あり、以前私はこう答えたことがある。
「ソ連には両方あるぞ」
双方の支持者からリンチを受けても仕方がない回答であるが、私は実は本質的にはContax派である。
と、いうのも元々PENTAXのデジ一を買い、予算がなくなったのでオールドレンズを買ってみよう、と。その際に「ソ連レンズはツァイスコピーだよ、ツァイスいいよ」と言う流れを叩き込まれてしまったために、「いつかはContax」というぼんやりとした憧れが頭の中にずっと残っていた。
以前書いたKiev沼への足がかりもこの「いつかはContax」という意識の顕れというか、練習のつもりで買ったら思わぬドツボにはまってしまった類の話だ。ふと気付いてみたらContax何台も買えるお金が注ぎ込まれている。
さて、そんなContaxのカメラの中でも今回は私が愛してやまないContax Iの紹介をしていきたいと思う。
Long Long ago,20th Century
そもそもこの「Contax」とは何物か。去る20世紀の1932年。当時のドイツが誇るカール・ツァイス財団傘下のツァイス・イコン社が送り出した35mmレンジファインダー機のフラグシップモデルの名称である。当時のドイツと言えば紛うことなき「ドイツの科学力は世界一ィィッ」な技術力を誇っていた。
そのドイツ有数のカメラメーカーであったイカ、コンテッサ・ネッテル、ゲルツ、エルネマンといったメーカーが合併して生まれた、ウルトラ怪獣でいえばタイラントに近い超一流メーカーが「ツァイス・イコン」である。
もう一つの有名超一流メーカー、エルンスト・ライツが先立って製作した「ライカ」と言うカメラに対抗、凌駕することを目的としてツァイス・イコンの技術を惜しみなく注ぎ込んで作られた。その性能や描写は間違いなく世界トップクラスのもので、後年「コンタックス」のブランド名やレンズの銘は日本のカメラメーカーのヤシカと提携した際にも使用される事となる。
これを「ヤシカコンタックス」「CONTAX(大文字)」と表記したりするのでフィルムカメラ民はContaxの事を話しているのかそれともCONTAXの事を話しているのかを文脈からある程度察するスキルが求められることがある。
黒く光るボディ
先述した通り、私がContaxに興味を持ち調べ始めた時。クローム色のContax(Kievのコピー元)となったものより前のモデルで、真っ黒のContaxの余りの格好良さに戦慄を覚えた。
これが、ツァイス・イコンがライカに対して送り込んだ初代Contax I。別名「ブラックコンタックス」様である。カメラ界で「ブラコン」という単語が出てきたらブラザーコンプレックスよりもこのブラックコンタックスを指していることが多い。
1932年のリリースから短期間でマイナーチェンジが繰り返されており、凡そ3年少しの間に6〜7回の仕様変更がされている。私が使っているのは6型となり、最後期に近い仕様のものとなる。
カメラそのものの性能は最速1/1000、商店のシャッターをミニチュアにしたような鎧戸シャッターを登載している他、有効基線長が抜群に長いため望遠レンズの使用に適している。1936年のベルリンオリンピックに併せてリリースされたとも言われるSonnar 18cm F2.8というレンジファインダーとしては狂った性能の望遠レンズさえ扱うことが出来る程望遠レンズとの相性がいい。
I型にはこのようにファインダーマスクが内蔵されており、モデルにより異なるらしいが標準5cmの他に8.5cmまたは13.5cmの視野角に対応させる事ができる。
余談だが、ContaxのI型は距離計窓とファインダー窓の二眼式となっており(バルナックライカと同じ)、距離計窓の視野角は実はおよそ135mmのものに近くなっている。外付けのファインダーを忘れても50mmと135mmなら画角は取れるということだね。
Contax系の機構を知らない人が見ると大抵驚くのだが、標準レンズ使用のピント合わせはカメラ上部のフォーカシングギアで合わせる。交換用のレンズに関しては普通にヘリコイドで操作する(軽いレンズならギアで操作出来ないことはないが敢えてギアる意味がない)。フィルムさんぽの納涼会に持ち込んだ時、見慣れない仕様に驚いた人もいた。
見慣れない仕様といえば、シャッタースピードの設定も見慣れない仕様だろう。
ボディ前面のダイヤルのノブを持ち上げ、数字に指標を合わせる事でシャッタースピードを設定し、更にノブを回す事により巻き上げを行う。
シャッターダイヤル中間にもう1つリングがあり、このリングを操作することで「シャッターグループ」が変更される。
通常モード
高速シャッターを中心としたスポーツモード
夜間撮影を目的としたナハトモード
バルブ・スロー撮影時のスローモード
(モード名は便宜上なものだけどナハトモードは当時のチラシかなんかにナハトモードって書いてあった気がする)
これらのシャッターモード切替により、(一応)当時のライカが実現していない一軸スローシャッター混在仕様になっているわけだが、機構を見てなんとなくお判りの通り何処がどういう仕組みでシャッタースピードに連動してくるのか解らんくらいには複雑な作りをしている。
この作りの関係で、例えばシャッターグループの設定リングを逆に回しちゃったとか。巻き上げた後に設定リング弄っちゃったとか。そういう操作をすると一発で破損してしまうことがある。
そうしたデリケートさはあるものの、立派に現在でも使える程のスペックを持っている辺りやはりドイツの科学力は世界一ィィである。
天下無敵のオオ BLACK ACTION
このカメラ、長らく憧れていたカメラなのだがお察しの通りお値段が中々に張る。具体的に言うと実働品のレンズ付きなら二桁万円は確定するくらいの機種ではあるため、先祖代々由緒正しきプロレタリアートの私は中々勇気を出して踏み込む事が出来なかった。
たまたま夏のボーナスが出た後に銀座の中古カメラ市を冷やかした時、これまた割と高値のContaxII時代の8.5cmゾナー付きのものを見かけた。
更にIIa仕様の純正ターレットファインダーが付いていたセットであった。割とお値段が張るので悩んでおり、たまたま銀座にケーキを買いについてきていた妹に相談した所「欲しいんでしょ?買えば」と、後のマルゼンスキー号の母となるシルの購入を妻に相談した橋本善吉のような形で背中を押されて購入することとなった。購入を果たしたブラコン様だが、その実力は果たして。
いやこれ1935年のカメラだぞ。
至極真っ当に写っている。
余談となるがこの時付いてきた8.5cmゾナーは後に手に入れたContax IIと年数が同じであったため時代的にピッタリ正しい組み合わせが実現できることとなった。
遠くにいても君に届くだろう
さて、折角Contax Iを手に入れたものの、当初はContax用のレンズを8.5cmゾナーと妙な1945年製5cmサンハンテッサーしか持っておらず、何となくボディとレンズのアンバランスさというものは感じられた。
やはりブラックコンタックスにはニッケル時代のゾナーを付けたくなるのは心情というものだろう。で、ebayで該当するレンズの中で出来るだけコンディションの良さそうなレンズを購入してみた。
この佇まい。これを私は求めていたのだ。これで憧れのブラックコンタックスセットが完成した……と思ったのだが。
実はこのニッケルゾナー。外観は綺麗だったのだが、光学系がカビと曇りで真っ白なので実用品としては使い物にならないレベルだった。もし撮っても真っ白になってしまう。また、肝心のブラックコンタックス本体の方も特定の条件でシャッターが正常に動かず上端や下端が切れて写ってしまう、という不具合も発生するようになりだしてしまった。さあ困ったぞ。
俺は変わる 生まれ変わる 生まれ変わった俺は
そんなこんなで、何処かの機会に一度オーバーホールしてもらおうと思っていたが、先述した通り高機能だがかなり複雑な造りのカメラで、私にとっても中々な虎の子のカメラだ。何処かで看てくれるお店ないかなー、とゆる募していた最中に、
「Twitter(当時)でContax系のメンテナンスをしてくれる人がいるよ」とタレコミを頂き、無礼を覚悟で相談してみたところ、快諾。
送ったブラコンとゾナーの清掃・メンテナンスをして頂き、手にとって操作した瞬間。
「違う!!」
それまでブラックコンタックスを操作するにあたり、支障は無かった。Kievも似たような操作感だしまあこんなもんだろうと。そう思っていたが、手を入れられたブラコンを触って私は声をあげてしまった。ちゃんとメンテナンスされたContaxってこんな滑らかなの!?
清掃してもらったゾナーを使い撮影してみる。おお……すごい……とてもしっかり解像している。
夢を見て翔ぶ それが人生
こんな経緯があり、私の所有するカメラの中でもこのブラックコンタックスは割と必殺武器に近い扱いである。先日のフィルムさんぽの納涼会においても「手近なところにある信頼出来る小さめのカメラ」ということでこちらを持ち出して撮影してみた。
Contaxシリーズは元々憧れていたカメラでもあり、特にこのContax Iに関しては欲しい欲しいとカメラ関係判らない人にまで数年間言い続けていたくらいだったのだが、紆余曲折はあったものの夢が叶って使う事ができ、実はかなりお気に入りのカメラである。
因みにフィルムさんぽのような集まりでは私はいつも東側=社会主義陣営により作られたカメラばかり使っている為、ブラックコンタックスを提げていると「あれ……?東側ではない……?」と煽られることがある。
そうした時私は「まだドイツが東西に分かれる前のカメラだが、当時のドイツは国家社会主義ドイツ労働者党政権だったので文字面的には大枠で社会主義」とギリギリな発言で返す事に決めている。
kaz
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