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kazのこんなカメラ②Asahiflex IIA

 Q:日本で最初に作られた35mm判一眼レフはなんでしょう?

 それは旭光学工業、後のPENTAXが作り出したAsahiflexというカメラです。


 めちゃくちゃかっこいい。

 このモデルは初代Asahiflexの改良型、IIA型なんだけど、このカメラは日本製のカメラで一番好きかもしれない。存在を知ったその時から欲しい欲しい病が出て、一生懸命探して良さげなものを見つけたのです。

 終戦後、日本の名だたるメーカーがバルナックライカコピーのカメラを作っていたり何故かContaxとライカの合の子を作ってたりした時期。
 旭光学は何故か戦前ドイツのPraktiflexという一眼レフとバルナックライカを悪魔合体させたようなカメラを作っていた。

 訳わかんねぇ。まあPENTAXだしな。

 それが日本初の35mm判一眼レフ、アサヒフレックスである。

 バルナックライカ級のボディサイズに裏ブタ式、ウエストレベルファインダーが付いている。
 なんと補助用に素通しのアイレベルファインダーもある。意外と至れり尽くせりだ。

 特筆すべきはこのカメラ。初期型の発売2年後、1954年のII型の段階でクイックリターンミラーが実用化されている。
 簡単に言うと「巻き上げてない状態でも被写体や構図を確認することが出来る」機構だ。

「え?そんなの当たり前じゃね?」

と思っただろうか。冗談ではない。

 これ、日本が世界的に見て普及がめちゃくちゃ早すぎる上、デファクトスタンダード化したので実感することが出来ないが、諸外国では早くて1960年代にチョロチョロ出始めるような感じ。

 10年早いんだよ!

 このように、一眼レフ黎明期の旭光学は色々とかっ飛ばしている。まあPENTAXだし。
 しかしこのカメラ、日本の一眼レフ無双時代の火付け役の割には、当時は科学用途や複写用途に使われる事が多く、ナウなヤングにバカ売れした、という程まではいかなかったようだ。まあPENTAXだからな。

・先生、お願いしやす!

 説明がちょっと長くなった。このカメラ、我が家では「先生」と呼ばれている。時代劇の用心棒の先生のような感じだ。
 何故そういう扱いなのか、というと。


 いや、写るんだよねえ、このレンズ。

 M37スクリューマウントのTakumar 58mm F2.4。
これがめちゃくちゃ写るレンズなのだ。オクシン型らしい。
 標準レンズなのでアサヒフレックスをレンズ付きで買うと付いてくることが多いし、あまり見かけないM37レンズの中では最も見つけやすい。

 オールドレンズ遊びにも使いにくいので価格もあまり高くない。(使えない訳じゃない。M37→Kマウントアダプタを自作販売されている方もいる)


 交換レンズの中では100mmと135mmのタクマーは探すと見つかる。85mmとか500mm(!?)もあるけど見付けるのは大変。



 100mmタクマーもよく写る。逆光に弱い傾向があるのでフードの必要性が高いが、36mm径なのでライツのズームフード付けると問題ない。

 ライツファンから火炙りにされそうだが。


 珍しいところでは、何故かシュタインハイル・ミュンヘン製の交換レンズがある。
 これはアサヒフレックスが当時Tower銘として輸出された時にドイツ各社が交換レンズを用意していたから。
 カールツァイス製だってある。

 サドパレンズに関しては現代より恵まれていたようだ。

 このカメラ、とても好きなんだけど弱点、というか特徴が一つある。

シャッター音がしょぼい。

 シャッターを切ると「パタム……」っていう実に情けない音がするのだ。
 私は全く気にしてなかったんだけど指摘された時はちょっと恥ずかしかった。

 それ以外はどこをどう切っても傑作一眼レフなので、興味があれば探してみるといいかも。中古市にはよく売っている。

 RICOH様、どうか何卒アサヒフレックスデジタルとか出してくれませんでしょうか。 



kaz

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