「CAN」の押し付けは、傲慢。「WILL」から始める段階的整理のススメ。
「もやもや」はとても大切だと思う。
上手く言語化できない何かが、自分の中のどこかに引っかかっている状態。そのままにしないで、少しずつ言語化してゆくと、思考の幅も深さも増していく。
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「もったいない」という歯がゆさ
「もっとわかりやすければなぁ。」
「もっとこう言いかえればいいのに。」
普段「もったいない」と感じることが多い。仕事はもちろん日常でもマーケティング的な視点で物を見ることが多く、モノは良いのに上手く伝えられていないものを見ると、
「あと少し、伝えるために工夫したらいいのに。」
と感じてしまう。
あるとき、友人の取り組みに対して「もったいなさ」を感じて、
「もっとユーザー視点に立ってわかりやすくすると見てもらえるんじゃない?」
と、提案をしてみると、思わぬ答えが返ってきた。
「んー、でもそれは別にいいかな。」
「そんな風にやりたいとは、思わないなぁ。」
この答えを聞いた直後は、どうしてやらないか理解できなかった。少し表現は変えれば伝わりやすくなることは自明だったから。
ただ、よくよく考えてみると、自分の提案はあくまでも「できること」の提案でしかない、ということに気づいた。
「もったいない」はCANでしかない
できることは無数にある。
「健康のためには、ランニングした方がいい」
「知識を増やすには、本を読んだ方がいい」
「節約したいなら、自炊を活用すればいい」
ただ、それらはあくまでも「できること」でしかなく、「やりたいこと」には天と地ほどの距離がある。
「健康にはなりたいけど、激しい運動はしたくない。」
「勉強したいけど、本を読むのは苦手。」
「ごはんは、おいしさで選びたい。」
相手のやりたいことを捉えていない提案は刺さることがない。
ただ、タチが悪いのが「もったいない」という感覚は、自分の中では、簡単かつ効果的だと思えてしまうこと。
「あぁ、これやるだけで、こんなことできるのになぁ。」
その感覚はとても歯がゆい。でも、自分が感じる感覚と相手が感じる感覚はまったく違うので、その前提に立たなければいけない。
ただその上で、相手が何がやりたいのがを捉えることは大切だと思います。
時間軸とやりたい軸で「段階的整理」
よくよく友人に話を聞くと、物事を自分が納得する形に徐々にススメていきたいとのこと。
まずは、こんなことができればいいんだ。
でも、ゆくゆくはこんなことしたいかも。
「善は急げ」と言うのですが、急ぎたいスピード感は人によって違うので、議論をする際には、「いつまでに、どんなことをやりたいか」を整理することが大切だと感じます。
STEP1(最初の1ヶ月)
・とりあえずコンテンツをつくりたい。
・一人でも見てもらえればいい。
STEP2(次の1ヶ月)
・意図が伝わるコンテンツにしたい。
・10人くらいに読まれたら嬉しい。
STEP3(3ヶ月目)
・響くコンテンツにしたい。自分らしい切り口を追求する。
・30人くらいに届けたい。
それぞれのSTEPごとで、必要なことはまるで異なります。やりたいことに合わせて、やることを変えるのがいいのかなと。
忘れちゃいけないことは、目的
やりたいことを進めていくとき、よく陥るミスは「手段が目的になってしまうこと。」
例えばnoteの場合には、整理するために始めたのだけど、書いても書いてもスキがつかなくて、悩むようになり、どうしたらスキがつくnoteができるかどうかを考えてしまう。
あるいは曲作りの場合には、最初は表現したいものがあって始めたのだけど、生活するためにはお金が必要だがら、次第にどうすれば売れるかばかり考えてしまう
知らず知らずのうちに自分の中で目的がすり替わってしまうと、フラストレーションが溜まりやすくなります。
毎日やるという手段が目的になってしまうと、苦しくなってしまう。定期的に、書くこと自体の目的に立ち返ると、自己矛盾がなくなってすっきりできる。
だからSTEPが変わっても、目的は常に顧みるようにしたい。変わるときは変わるのですが、自覚なしに変わっていると、苦しいことが多いから。
難しいことを楽しむ
簡単なようで難しい。でもやりたいことをやることは大切だから、できるようになりたい。
自分ひとりよりも誰かと一緒にやるほうが難しいけど、できたら嬉しいから挑戦したい。
いつまでも難しいことを楽しめる人でいたい。
おまけ:どうしても言いたかったら、軽く提案だけしてみる
「これ、こうしたらいいんじゃない?」という提案は軽くしてみる。
相手がやりたいとおもっていたけど、きづいてない、あるいはできないだけかもしれない。そういうときは、喜んで提案したい。
ただ、やりたいことと違うようだったら、潔く手を引くのも大切。
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cotree advent note 49日目
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TOP画像は、実家がある茨城の田園風景。小さな頃からもやもやすると、散歩しながら整理するような子供だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。