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良いnote

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個人的に、とても個人的に、いいな、と思ったnoteを集めるマガジン。
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#写真

GRIIIxとfpの話

こんにちは。奈鳥です。 そういえばGRIIIxとfpを買うまでの気持ちや理由を書いたことがなかったので、書いてみようと思います。 GRIIIxを買うまで GRIIIxを買うまでは、ほぼiPhoneで写真を撮っていました。 CanonのEOS Kissx9は持っていたのですが、子どもを撮るくらいで外に持ち出すことは殆どありませんでした。 なぜかと言うと、かさばって重いから。 ズームレンズ付きを購入したのですが、ズームレンズよりもオールドレンズ(supertakumar、

写真は詩

写真と「詩」はよく似ています。両方とも、見えるものより見えないそれを語ろうとするからですね。例えば、匂いや手触り、音や温度に味、それから時間や感情だって。どれも視覚以外の感覚で目には見えないものばかりです。でも写真や詩ならそれを感じてもらうことができるはずです。 だからなのか写真と詩の作り方には共通する部分があります。 実際に写真に対して「poetic(詩的な)」という表現が使われたりもします。それは両者の関係をよく表していると思います。優れた詩からは自然と画(つまり写真)

YAMAPの歩みと、目指す未来

登山地図GPSアプリ「YAMAP(ヤマップ)」を普段からご利用いただき、ありがとうございます。カルチャークリエーションチームの石田です。 2023年は、YAMAPが10周年を迎えるアニバーサリー・イヤー。おかげさまで、現在では累計350万ダウンロード(2023年1月)を突破するまでになりました。本年度も引き続きご愛顧のほど、よろしくお願いします。 さて、最近では、優れたサブスクリプションサービスを表彰する『日本サブスクリプションビジネス大賞2022』のグランプリ受賞などを

ともに歩いてきたカメラと写真を振り返る

いつからか、私の手にはずっとカメラがあった。この時代はこのカメラ、あの時代はあのカメラ。いろんな相棒とそのときを過ごしてきた。 どの時代のどのカメラで撮った写真もそれぞれ好きで、それぞれ良さがある。今日はカメラと写真の変遷を、このnoteで振り返ってみます。 OLYMPUS PEN Lite E-PL1はじめて手にしたレンズ交換式カメラが、PEN Lite E-PL1。宮崎あおいちゃんがカメラを首から下げているCMを見て、「私もこうなりたい」と思って買った。完全に形から入

#13 - SIGMA DP3 Merrill

今回ご紹介するカメラは、2013年にSIGMAから発売された "DP3 Merrill" です。以前は親バカ写真や記念写真しか撮らなかったわたしが、このカメラに出会って写真の楽しさを知ることになりました。 もう製造を終了した過去のカメラです。この記事の有用性は低いかもしれません。自分の愛する機材をただただホメちぎる記事ですので、そんな記事だと思って観ていただけると幸いです。 作例まずは作例から。 構図とか被写体の面白さとかは無視してください。あくまでこのカメラが吐き出す

生活は美しく、生活はつづく。

およそ2年間Twitterにて私の生活の写真を載せてきました。今日はその振り返りをします。好きな写真、写真にまつわるエピソードをまとめました。 カメラをプレゼントされたのでおやつを撮った。 イギリスに来て、カメラをプレゼントにいただきました。これまで撮ってきたiPhoneとは比較にならないくらい美しい画像にときめいた私はその日以来生活に注目して写真を撮るように。 Kings Crossから徒歩30分、Angelの街にあるケーキ屋さん「かつて100」では日本のショートケーキ

写真は言葉

新しい言葉を知ったとき見える世界が変わることってありますよね。例えば、イヌイットは4つも「雪」を表す言葉を持っているそうです(諸説あり)。その言葉を知れば彼らと同じ物が見えるようになるかもしれません。つまり、言葉は世界に対する視野を広げ解像度を上げてくれるものなんですね。 また、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』では、時間の概念を持たない異星人の言語を理解した主人公がそれと同じ能力を得るようになります(ややネタバレ🙏)。つまり、時間さえ超えて世界を認識することがで

いい写真が何かわからなかった編集者が写真を読めるようになるまで

駆け出しの編集者の頃、雑誌の担当になった。作庭家がつくったガーデンデザインを紹介する本で、写真は紙面のなかで重要だった。カメラを触ったこともなかった新人編集者の私が何より苦労したのが写真選びとラフレイアウト。人物のポートレートなら笑顔などわかりやすい指標があるけれど、風景や心象風景を撮った写真のどこをみて選べばいいのかわからなかったのだ。当時はフィルムだったが、ポジ袋がくしゃくしゃになるほど何度も覗き込んだ。カメラマンも先輩も「いい写真」が何か、言語化して教えてはくれなかった

一年間のフィルム写真

はじめてnoteを投稿します。 自己紹介の代わりに一年間のフィルム写真を貼り付けてみました。 言葉は添える程度。 それならTwitterやインスタでも良いのかもしれませんが......。 お時間のある時に、途中まででも良いので眺めていただけたら嬉しいです。 2020年 夏 夏が終わる頃。近所の公園から帰るときに撮った一枚。 なぜかこの空を見て「今年の夏が終わったんだな」と思った。 はじめて玉ねぎを切った日。 2020年 秋 kodakの使い捨てカメラ。 高性能な

大切なひとをうまく撮れないと思っているひとへ

妻を撮った写真を妻に見せたとき、ほかのひとはきれいに撮れるのに、わたしだけ何故こんなに無防備な瞬間を撮るのかと問われることがあり、それについて、たとえば、赤ちゃんはどの瞬間もかわいいではないか、僕はあなたのすべての瞬間をよいと思っているが、今日撮ったなかでは、この写真は自然な感じがしたし、この表情が好きなんだ、というようなことを伝えたところ、妻はやれやれ…というような顔をしていた。 きれいな写真というのがあって、それをよい写真と思う気持ちはよくわかる。僕も誰かに撮られるなら

旅が遠くなってしまった日、僕は空港へ向かった

雨が降っていた土曜日、僕は羽田空港へ向かった。 これから飛行機に乗るわけでも、あるいはどこか遠くに行くわけでもなかったのに、年に何度かそんな日がやってくる。僕は旅をするのが好きだけど、それと同じぐらい好きなのが「旅を感じられる場所」へ行くことだ。 大きな駅のホーム、外国語のきこえる空港のロビー、賑やかなバスターミナル。そんな場所に自分も立ってみると、たとえこれからどこかに行く予定などなくても、「旅する気持ち」のようなものを追体験できる気がする。 それは、これから遠く

世界を見つけるということ

「木洩れ陽」が好きでよく撮ります。美しいですよね。木々の隙間から光が射して映し出されたそれ。風に揺れるとまるで小さな子供たちがダンスしているようにも見えます。この言葉を生み出した豊かな感性に憧れます。ところで英語では「木洩れ陽」を一言で表せられないそうです。 英語では ”sunlight filters through the trees” のようなセンテンスで表現されるそうです。同じように日本語にも一言で表せられない現象があります。たとえば ”Petrichor(ペトリコ

写真展『ここで種を蒔く』

幼かった頃、両親が共働きだったので、学校から帰るといつも祖父母と過ごしていた。 祖父は、朝早くから畑仕事に精を出し、祖母は夜遅くまで薄暗い明かりの下でミシンの内職をしていて、一日中休むことなく働いていた。 祖父母からはいつも土の匂いがして、僕はその匂いが好きだった。 実家を離れて生活するようになり、写真に興味をもつようになってから祖父母にカメラを向けるようになったことはごく自然なことだった。 あるとき、ファインダーを通して祖父母と娘を見ていると、自分の幼い頃にタイムスリップ

シャッターは愛、ゆえに残酷

シャッターは愛の告白だと思いませんか? その世界への、その時間への、その人への。しかし、ゆえに等しく残酷でもあるのです。 わたしたちはふだん興味のあるものや好きなものだけを撮っています。そうでないものにカメラを向けることはあまりないはずです。とくに意図がなければ日常におけるほとんどの場合、写真とはそういうものですよね。その意味でシャッターはわかりやすい愛情表現だったりします。切るたびに「好きです」と告白しているような... しかし、同時にある事実にも気づくのです。例えば、