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大切なひとをうまく撮れないと思っているひとへ

妻を撮った写真を妻に見せたとき、ほかのひとはきれいに撮れるのに、わたしだけ何故こんなに無防備な瞬間を撮るのかと問われることがあり、それについて、たとえば、赤ちゃんはどの瞬間もかわいいではないか、僕はあなたのすべての瞬間をよいと思っているが、今日撮ったなかでは、この写真は自然な感じがしたし、この表情が好きなんだ、というようなことを伝えたところ、妻はやれやれ…というような顔をしていた。

きれいな写真というのがあって、それをよい写真と思う気持ちはよくわかる。僕も誰かに撮られるなら、できればきれいに撮ってもらえるとありがたいと思ったりもする。だから僕が妻に言っていることは、僕のわがままだというふうにも思う。

たとえ話をする。長谷川利行という画家の話だ。利行は大正から昭和初期にかけて、谷中あたりの簡易宿泊所を泊まり歩き、その日暮らしをつづけていた。底なしに貧乏で、酒場でマッチ箱に描いた絵を見知らぬ客に売りつけ酒代にしたり、人気があった文化人の家に押しかけて肖像画を描き、それを相手に買わせたりした(その絵はいま東京国立近代美術館に収蔵されている)。素行に問題があったから画壇に居場所はなかったが、絵を描く人ならきっと利行が天才だと直感的にわかったと思う。

会うたびに金をくれと言われるので、利行と親しくなるひとはあまりいなかったが、詩人の矢野文夫はそれでもなんとか利行と長くつきあうことができた数少ない人物だった。矢野は利行がカフェの片隅にカンバスを立て、その風景を目にも止まらぬ速さで描き上げたのを見て驚嘆し、友だちになった。矢野は絵も描いていたが、利行と知り合ってから絵を描くことはなくなったようだ。矢野は写真を撮ることも好きで、カメラを持っていた。現在残されている利行の肖像はほとんどすべて、矢野によるスナップ写真だ。矢野と知り合わなければ、利行はまともな肖像写真が残っていなかったかもしれない。

利行は、夜ごと浴びるように酒を飲み、朝、宿を追い出されるとぶらぶらと街をさまよい、目についた風景を描いた。そして、当然のように体を壊し、激しい胃の痛みに悩まされ(胃癌だった)、ある日、路上で倒れた。養育院に収容されたが、身寄りがないため、誰ひとり見舞いに来なかったようだ。憔悴しきった利行は、矢野に「見舞いに来てくれ」と葉書を出したのだった。律儀な矢野が言われたとおり訪問すると、ふたりは連れ立って養育院の中庭を歩いた。そこにはマーガレットが一面に咲いていたので、矢野が「そこに座れよ。一枚撮ろう」と言うと、利行は突然、言葉にならない叫び声をあげ、「糞、死んでやるか」と吐き捨てた。矢野が仕立てのよい服を着ていることを、高価なカメラをぶら下げていることを、責めたとも言う。

そのとき、矢野が撮った写真を、僕はずっと忘れられないでいる。矢野はそれでも、マーガレットの花畑を背景に利行を撮った。でも、それはふらついて前のめりになった利行の気の抜けた顔をとらえた、どうにも「決まっていない」写真だ。矢野がプロの写真家であったら、撮った瞬間に「失敗した」と気付き、すぐに撮り直しただろう。利行に「こっちを見て」と伝え、苦悶に満ちた表情でレンズを睨んだ瞬間に撮れば、死を目前にした天才画家の凄みのある風貌が撮れたはずだ。世間では、そういう写真が評価される。しかし、矢野は写真家ではなかった。死にそうな友人を目のまえにして、なすすべもなく立っているひとりの詩人であった。矢野は、撮り直さなかった。その「決まっていない」写真を撮って、もうおしまいにしたのだ。

しかし、その写真のことを僕は、とても美しい写真だと思う。矢野は、そういうふうにしか撮れなかったのだ。そのことが僕の心を震わせる。死にゆく友をまえに、その姿を撮ることが正しいのか葛藤する心を、それでもシャッターを押した決意を、その写真はみごとに捉えている。そこに写っているのは長谷川利行であり、矢野文夫なのだ。

大切なひとをうまく撮りたいと思っているひとへ。撮りたいと思うあなたの気持ちは、まちがいなく愛だ。でも、「写り」は気にしなくていい。あなたが、いま愛するひとのそばにいるということが、奇跡だと気づいてほしい。いま、愛するひとの姿を残せるひとは、あなたしかいないのだ。

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