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1996年からの私〜第23回(09年)人の不幸はビジネスチャンスなのか?

筋が通らないことはしない

三沢光晴さんの訃報を伝えた本誌は、発売と同時に売り切れ店が続出し、週刊誌としては異例の増刷。さらにその後に発行した追悼号も瞬く間に売り切れ、こちらも増刷することになりました。

本来、自分たちがつくったものを多くの人の手にとってもらえるのは嬉しいことです。しかし、このときはやるせない思いでした。第21回で書いたように、この3カ月前、三沢さんと最後に飲んだときに、私は売り上げが落ちて苦しいと愚痴をこぼしてしまいました。それが三沢さんの訃報によって雑誌が売れる。会社の先輩から「売上げに苦しんでるオマエへの三沢さんからの置き土産なんじゃないか」と言われたときは、弱音を吐いた自分を心底恨み、気持ちがどん底に落ちました。

落ち込んでいても時間は止まりません。この後も私は週刊プロレスの編集長として、いくつも難しい決断を迫られることになっていきます。

増刊号の制作が終わったのも束の間、三沢さんの47回目の誕生日となるはずだった6月18日に通夜、翌19日に告別式がおこなわれることがわかりました。NOAHからはすべて非公開で近親者のみで執り行ないたいという意向が通達され、後日お別れ会を開くことも発表されていました。

18日はNOAHの名古屋大会があり、そちらの取材に行くため最初から通夜に行く選択はありませんでした。しかし、三沢さんとの最後のお別れとなる告別式は違います。取材はともかく三沢さんに会いに行きたい。私だけでなく、他のスタッフも同じ気持ちを持っていました。のちの週プロの資料として残すためにカメラマンの派遣も考えていました。ただ、告別式に行くのなら筋は通さなければいけない。そう思い、名古屋から帰宅した深夜、仲田龍GMに電話をしました。

「告別式に僕らも参列させてもらえませんか?」

龍さんは私の言葉にしばらく沈黙した後、「なんでそんなことを電話してきちゃうのかな…」とポツリと言いました。

「佐久間くん、それは俺に聞いちゃダメだよ。……俺の立場からしたらマスコミはダメだって言うしかないんだから。なんでそんなことを電話してきちゃうんだよ……それは俺に聞いちゃダメだよ」

絞り出すように言葉をつなぐ龍さんの苦渋を電話越しに察しました。それは許可なんかとらずに勝手にきてしまえばよかったのに…というニュアンスを含んだ言葉であることがわかりました。勝手にきても追い返すことはない。だけど、マスコミには非公開と言っている以上、特別扱いはできない。そんな龍さんの気持ちを察し、自分の立場を改めて考え、どうすべきかを考えました。

三沢さんは仁義をとても大事にする人で、筋が通らないことが大嫌いな人でした。個人的にどんな思いがあったとしても、「マスコミには非公開、近親者のみで」と通達されているのに、マスコミである私がその場に行くことは明らかに筋が通らないことです。三沢さんのことをもっとも近くで取材してきたマスコミの一人として、ここは行くべきではない。ご遺族の気持ちを考えてもやめるべきだと判断しました。

普段はプロレスに見向きもしない、テレビ、新聞、一般誌が「ビジネスチャンスだ」とばかりに押し寄せることは想像できました。だけど週プロにはその様子は掲載されない。専門誌の報道を待っている読者の方に対して、取材を放棄することが正しい判断とは言えず、「編集長の自己満足」と非難、批判されることも覚悟していました。それでも自分たちは三沢さんが一番嫌がることをしてはいけない。スタッフ全員に私の考えを話し、納得してもらいました。

この決断は会社には伝えず独断だったため、何かしらのペナルティがあることも覚悟していましたが、上司から「オマエはバカだな」と言われただけで、幸いおとがめはありませんでした。また、記事が載らないことへの読者の方からのクレームも特になく、背任行為として編集長の任を解かれることはありませんでした。

自分に恥ずかしくない決断をすること

他のマスコミが三沢さんの死をビジネスチャンスと考えていたように、ベースボール・マガジン社(BBM)にも、本誌、追悼号に続く、三沢さん関連商品を発売したいという意向はありました。追悼号はわずか3日で制作したものであり、三沢さんの功績を考えると不十分なもの。私の中にも皆さんの心に残るような作品をつくりたいという思いはありました。

念のため断わっておくと、個人的な利益を得たいという感情は、そこには1ミリもありません。そもそも我々はいくら増刊号や別冊をつくっても、特別な手当てをもらっていませんでした。週刊誌以外のものをつくるということは、単純に仕事量が増えるだけです。作り手である自分たちにとって最大の報酬は、いいものをつくったという自分自身の喜びと、手にとってくれた方々の喜びです。第9回でも書きましたが、仕事は喜びこそが最大の報酬であるべきだと個人的には思っています。

7月4日にお別れ会の開催が発表されると、BBMではその後の戦略についての会議がおこなわれました。実績会議(第17回参照)と同じく、社長や各部署の部長が参加する戦略会議です。当時、私は33歳で年齢的にも役職的にも末端の位置づけでした。

この席で社長から提案されたのは「お別れ会の会場での三沢光晴関連本の販売」でした。会場には恐らく1万人以上のファンが来場する。そこでBBM、週刊プロレスとして三沢さんの本を販売すれば、間違いなく売れるということでした。

たしかに売れるでしょう。そして三沢さんの思い出をファンの人に形で残してもらう。それは間違っていないと思います。しかし、明らかにタイミングが違います。社長から「佐久間、7月4日までに何かつくれるか?」と問われ、私はこう答えました。

「ファンの人の思い出に残る作品は僕もつくりたいです。ただ、この日は違うと思います。ファンの人は三沢さんと最後のお別れをしに来るのに、そこで何か売るというのはちょっと違うと思います。たしかに売れると思いますけど、そんなことをしたら週プロがプロレスファンの信用を失います」

末端の私が社長の意見にノーと言ったことで場に緊張が走ります。会議に出席している他の部長たちから何かしらの意見が出るかと思いきや、誰も発言しません。沈黙を破るように社長が口を開きます。

「こういうのはタイミングが大事なんだ。それを逃したらいくらいいものをつくっても売れないんだよ」

「タイミングが大事というならこのタイミングではないですよ。いいものをつくるにしても、製本、納品の時間を考えたら、今からでは時間がなさすぎるし、気持ち的にもいいものなんてつくれません」

10人くらい在室している会議室が沈黙。重たい空気で胃が痛くなります。この後、「だからオマエはダメなんだ」的なことを延々と言われ、結論が出ないまま会議は終了。会社の厳しい状況もわかっていたので、なんとかしたいという社長の気持ちは当然理解できます。ただ、週プロはプロレスファンの信用あってこそなので譲れませんでした。そして会議室を出た後、心の底からガッカリする出来事がありました。

6階の会議室を出てエレベーターに乗ると、会議に出席していた部長たちが口々に「あれはオマエの言う通りだよ」と言い始めました。そう思っているならなぜ会議の場で社長に言わないのか、私には理解できませんでした。人間は完璧ではないので誰でも間違えることがあります。だから間違っていると思ったら、どんな立場であれ、それは指摘するべきです。全員が私より年齢もキャリアも役職も上なのに、誰一人として間違ってると思っても社長に意見が言えない。会社の未来を案じ、失望しました。

2日後、再び会議がおこなわれます。また誰も助けてくれないなかで社長と揉めることになるのか…。憂鬱な気持ちで臨んだ会議では、意外な展開が待っていました。どういう心境の変化があったのかはわかりませんが、社長が自らお別れ会での販売はやらないと決定してくれたのです。こうしてなんとかお別れ会会場での物販というファンへの裏切り行為は回避されたのでした。

7月4日のお別れ会が終わった後、前任のNOAH担当で週プロのエースだった佐藤景さんに「三沢さんが亡くなったのは本当に残念だし悲しいけど、佐久間が編集長の時で本当に良かったよ」と言われました。景さんは落ち込む私を励ますように、よく頑張ったと言ってくれたのですが、最後の酒席のことが頭にあったので、このときは自分が編集長で良かったなんて思えませんでした。

あれから11年。時間が経って改めて考えてみると、自分が編集長だったからこそ、自分で週プロの方針を決められたことだけは良かったと思っています。人生は数学ではないので決まった一つの答えがあるわけではありません。だから自分の決断がすべて正しいとは言えないし、そんなことも思っていません。それでも人が嫌な思いをしないことを第一に考えて選択したことは事実なので、自分に対して恥ずかしいと思うことはありませんでした。

思えば、それは三沢さんの教えだったのかもしれません。あるとき、三沢さんに「いつもみんなに期待されるのってしんどくないですか?」と聞いたことがあります。私の問いに対して三沢さんはこう答えました。

「自分にそれでいいのか?って問いかけるんだよ。諦めそうになったとき、オマエはそれでいいのか?って。なんでもそうだけどさ、難しい決断をするときは、自分にそれでいいのか問いかけて、自分に対して恥ずかしくない、カッコ悪くないようにすればいいんだよ。だから周りの期待に応えなきゃとか、そんなのではないよね」

自分に対して恥ずかしくない決断、カッコ悪くない選択をする。これはすべてにおいて言えることではないでしょうか? コロナ禍で起こった「マスクの買占め」「他県ナンバー狩り」「自粛警察」……。現在問題視されるSNSによる匿名の誹謗中傷もそうです。一人ひとりが自分に問いかけて恥ずかしくない選択をしていれば、全部起こらないことだと思います。こんな時代だからこそ、いま改めて三沢さんの教えが胸に沁みています。


つづく

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