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女が嫌いな女になりたい

と、ふと思うことがある。

正確に言うと、ワガママで、自由奔放で、あざとく、女性には嫌われるけど何故か男性にはモテる、そんな彼女達のことだ。

でも、私が彼女達を「いいなあ」と思うのは、モテたいからではない。完全自己中...おっと失礼、自分の価値をよく理解して、自分本位に生きているからだ。

せっかくなので、自己紹介を兼ねて、その理由をお伝えしたい。

定時制に通う、仕事人な女子高生

私は「自分でできることは自分で精神」を持ち合わせているようで、どうもワガママになれない。

厳密に言うと、ワガママの許容範囲がよくわからない。

どこまでが「わかったよ、しょうがないなあ〜(笑)」で、どこからが「まじ、ウザいからそれ(怒)」なのかが、わからない。

なぜそう感じるのか、その根源は私の高校時代にあると思う。

◇◇◇

中学生の頃、3年の高校生活で将来何をしたいか決まるとは思えなかった。また、お金も稼ぎたかったので、定時制(夜間学校)に通うことにした。

そんなわけで、昼はバイト、夜は学校という生活を4年過ごしていた。バイトというか、もはやパートだった。

その頃、某DVD/CDレンタル店兼書店で書店員をしていたのだが、スタッフの中で年齢が一番若いという理由でコミック担当を任され、コミックの発注や管理をしていた。

コミックの知識はほぼゼロだったし、新作コミックを発注する際、返品が出ないように「ちょうどいい冊数」にするのは、至難の技だった。少しでもお店の収益に繋がるようにと、自主的にポップ作りなんかもしていた。

今考えると、学生バイトの域を超えていたと思う。だって、発注書を持ってそのまま学校に行ってたんだもの。もうね、毎日必死だったよ。勉強ではなく仕事に。

◇◇◇

4年の間、他にも色んなバイトをしたし、何を思ったか学級委員にもなった。18歳で免許を取ったので、それ以降は電車ではなく車通学だった。9時〜17時までバイトで、その後は車で学校に向かい、家に帰るのは21時過ぎといったところ。

バイトは土日もあるので、まる一日休みの日は少なかった。なので、私は学園ドラマのような青春は送っていなかったと思う。

16歳から日中バイトをしていたので、主婦のパートさんや中高年の人たちと関わることが多かった。学校でも、同級生に40歳の元ヤクザがいたり、60歳のおばちゃんがいたりと、こちらもやはり年上ばかり。

そんな人生経験が私よりも長い人たちと日々過ごしていると、視野が広くなり物事を柔軟に捉えられるようになる。そして、お金を稼ぐことの大変さ、責任感を持つことの重要性、価値観の違いなど、自然に理解するようになっていた。

あの頃は毎日必死だったので、深く考えることもなかったが、30歳を過ぎた今、この高校生活が私の基盤になったと言える。

雑草魂で生きる社会人

なお高校卒業後の経歴は、ざっくりまとめるとこんな感じ。

高校卒業後、語学系の専門学校に入学し英語通訳を専攻、在学中にアラスカで現地ガイドを経験(私の人生で最も強烈で学びの多かった経験でもあるので、いつかこの体験もnoteに書きたい)

通訳者への道が険しいことを痛感し、新卒は大手旅行会社に入社。数年で退社してニュージーランドに渡航、主に飲食業や雑誌編集に従事。

3年間在住後、日本に帰国。その後、外資系UXデザイン会社でマーケティングを学び、スキルアップのために米国ユニコーン企業でコンテンツマーケティングに従事。

ここまで読んでいてお分かりかもしれないが、私の経歴はちょっと変わっていると思う。

定時制高校に通っていた子が外資系企業でマーケティング。しかも大学には行っていない。

有難いことに、英語力を褒めていただくことがしばしあるのだが、帰国子女だからでも、勤勉だからでもない。

それは、私が実践型のインプット・アウトプットに徹していただけにすぎない。恥という恥をかきまくり、覚えたものはすぐ使う。それを繰り返していただけ。

雑草魂といいますか、食らいついていく力がちょっと強かっただけなのかなと。だからこそ、後から行動力がついてきて、周りに頼るよりも自分で何とかする気質になっていたのでしょう。

私は長年学歴コンプレックスを持っていたけど、最近仲の良い友人から「面白い経歴」と褒めてもらえたので(照)意気揚々と書いている。

そんな単純な私です。

ワガママな友に学ぶ、自己愛の大切さ

冒頭で例に挙げたような女性を羨ましいと感じるのは、自分にはない要素があると感じたから。

ワガママで自由奔放な人達は、自分のことを先に考える。

相手が何と言おうと、自分の価値は下げない。つまり、自分の価値をよく理解している。

そんな風に考えられるようになったのは、つい最近のこと。あるきっかけがあり、自己愛や自尊心について深く考えるようになった。

昨年、サンフランシスコから友達が日本に遊びに来た。彼はとにかく自由奔放な性格で、日本滞在中はかなり振り回された。

「お寿司が食べたい」と行うからお店を調べていると、急に「やっぱり、しゃぶしゃぶがいいな」と言ったり、私が仕事をしている日中に弾丸的にメッセージが送られてきたり、私だったら絶対こんなことしないのに!と思うことばかり。

ただ、彼と一緒にいて気づいたことがあった。しゃぶしゃぶを食べている時のものすごく嬉しそうな顔や目新しいものを見てはキャーキャー興奮している姿を見て、今この瞬間を思いっきり楽しんでいる感じがした。

もちろんワガママの度合いにもよるけど、ああ、私もこんな風に周囲のことを気にせず自分に正直でいれたらいいのに...と思わずにはいられなかった。

「愛されたいなら、まずは自分を愛せよ」の意味

私は仕事人の気質があることから、協調性も同調性も兼ね備えている。故に、周りを気にしすぎてしまうことも多い。

周囲を全く気にしないのは、案外難しいことだと思う。

なぜなら、そこには「良く見られたい」「嫌われたくない」というフィルターがあるから。

でも、このフィルター自体にどんな意味があるだろう?自己愛の大切さを自分なりに解釈してみたい↓

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【左】まず「良く見られたい」「嫌われたくない」のように、他人評価を気にしてしまう場合、意識が他人に向いていることになる。

でも大抵の場合は、周囲は自分が思っている程気にかけていなかったりする。だから周囲のことばかり気にかけていると、自分には愛がない状態に。(無条件で愛してくれるような家族や友人は、別の存在かと)

【右】反対に、自分のことを愛していると「あの人、楽しそうだな」「私も人生もっと楽しもう!」のように、周りに良いインパクトを与えることもある。それが派生して更に先の人たちにまで届く。

よく「愛されたいなら、まずは自分を愛せよ」といったフレーズをみかけるが、その理由は多分こんな感じなのかなと。

◇◇◇

以上が、私が「女が嫌いな女になりたい」と思う理由である。

周りを気にせず自分に正直で、自分の価値をしっかり理解している女...

かっこいいじゃん!


と。

でも...全力で女性に嫌われたいわけではないけどね。苦笑

だから、自分が思う「ちょうどいい自分本位」を見つけられたらなと思う、そんな今日この頃です。


【余談】最近Mediumもはじめました。こちらでは英語のエッセイを書いているので、興味ある方は覗きにきてください :)



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