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年齢に縛られない生き方を考える

28歳までには結婚して30歳までには子供が欲しい。幸せな家庭を築くんだ。

という、高校生の頃に漠然と描いた人生。周囲がそんな風に話していたので、私もそうなるものだと思っていました。私の人生は30歳までに決まるのだと。

もしも「幸せな家庭を築くこと」が人生の最終目標だとしたら、「28歳までに結婚」「30歳までには子供を」はマイルストーン(中間目標)なのかもしれません。

時が流れて20代後半に差し掛かかり、結婚したいと思う人が現れました。でも、遠距離恋愛と同棲を経て価値観が合わないことに気づき、結局別れることにしました。

周囲を見渡した時、婚約している人、既に結婚している人、2人目の子供を考えている人など、私のマイルストーンを既に達成している人達がいました。

なぜ私は「達成」できていないのか?

心がざわつき、落胆する自分がいました。

このような話を友人にすると、大半が人生におけるマイルストーンを設定したことがあると話してくれました。

・25歳までに結婚、30歳までに第一子を出産、35歳までに第二子を出産
・30歳までに結婚、40歳までには持ち家を!
・40歳までには管理職にき、年収800万円に

その通りに達成している人もいれば、達成していない人だっている。

「マイルストーンの歳」になって、それらを達成できていない時、なぜ落胆したり、焦ってしまうのでしょうか?

なぜ、独身のアラサーは肩身が狭い思いをして

なぜ、結婚していないと不幸と思われるのか

それは、生活の中で生まれた固定概念で行動してしまうからだと思います。常識に囚われて、私は何かが違うと思い込み、年齢に縛られてしまう、そんな社会で生きているから。

人生思い通りにいくことなんてないのに、先が見えないから可能性に満ち溢れているのに、そう分かっていても生きづらいと感じてしまう時がある。

不思議ですよね、ほんとに。

マイルストーンを達成できなかったアラサー女

30歳になった時、残念ながら結婚したいと思う人はいませんでした。つまり「28歳までに結婚」も「30歳までには子供を」も達成できなかったのです。

でも私はその年を思いっきり楽しんでいました。恋も仕事もたくさんしたし、友人に趣味に旅行に、とにかく充実していました。むしろ、よく考えてみるとアラサーに突入した時から楽しさが年々倍増していたのです。

前回のコラムでも触れていますが、私は学生の頃から外見のコンプレックスがありました。様々な気づきを経てコンプレックスを克服できるようになったのですが、内面にも大きな変化があったようです。

何が私をそうさせたのかを振り返ってみたいと思います。良かったら、もう少しだけお付き合いください。

多様な価値観に触れる環境に身を置く

私はもともと海外に関心があり、国籍問わず色んな人達と交流するのが好きでした。海外で生活してみたいと思い20代半ば〜後半をニュージーランドで過ごします。

すると、国籍、宗教、ジェンダー、思想、食習慣など様々な価値観に触れるようになり、考え方が変わっていきました。

サウジアラビア出身の人と付き合っていた頃、イスラム教の風習に戸惑いました。彼が友人を使用人のように扱っている姿を見たので、抗議したら「いいんだよ、彼は使用人の家系だから。俺も子供の頃は使用人の家族と一緒に住んでいたよ」と言われ、唖然としたのを覚えています。育った環境がこうも違うなんて、と。

ある時は、フラットメイトとして50代のニュージーランド人男性(ゲイ)と40代のオーストラリア人女性(レズビアン)と同居したことも。彼らがこれまで受けてきた差別や独自の恋愛観、何にも縛られない生き方など、色々な事を教えてくれました。たくさん傷ついた分人の痛みがわかる、そんな素敵な人達でした。

レストランでウエイターとして働いていた時には、グルテンフリー、ベジタリアン、ヴィーガン、ペスカトレリアン、ハラールなど、食事制限の豊富さに驚いたものです。しかもその理由も、体に害を及ぼすから、思想に反するから、なんとなく体に良さそうだから、と様々。

このように日々知らない世界を体感していくと、自分が抱いていたありとあらゆる固定概念が一気に払拭されます。

固定概念がなくなると視野が広がる
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視野が広がると物事の捉え方も変わる
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他人と比較することが無意味に思える
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主体的なマインドに
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今までとは違う行動をとるようになる

こんな感じで、オープンマインドになっていきました。

日本に帰国後も同じような環境に身を置きたいと思い、以来、多様性を重要視する会社で働くようにしました。サンフランシスコのUXデザイン会社や米国ユニコーン企業など、これらの会社で出会った人達は面白い経歴や強い信念を持つ人ばかりでした。

うまく説明できないのですが、アイデンティが全く異なる人達がいる場所に身を置いた方が、視野が広がり自由に生きられるような気がします。

好きな人やモノに囲まれる

上記の内容と少し被るのですが、自分が好きな人や心から尊敬できる人達に囲まれることも大切にしています。

社会人になりたての頃は「大人の付き合い」が多く、尊敬できない人といることも少なくありませんでした。また、1人になったり嫌われるのが怖くて「ご飯に行こう!」と言われたら、相手が誰でもとりあえず行っていました。

でも、色んな価値観に触れるようになってからは、こう考えるようになりました。

人生は短い、しかも自分が想像してる以上に。

それだったら好きなことをして、好きな人たちと一緒にいた方がいい。

思想に共感できる人、行動に刺激を受ける人、純粋に「好き」「いいな」と思った人には自ら声をかけ、会いたくないと思う人には「会わない」という選択をするようになりました。

冷酷にも聞こえますが、いいのです。無理して一緒にいることなんてないと思います。だって自分の人生なのだから。

人だけではありません。本や映画、音楽、YouTube動画だってそうです。自分がいいなと思うものを見つけて、それらに思いっきり囲まれてみる。そうすると、コンプレックスだとか年齢の縛りだとか、そこまで気にならなくなりました。

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縛られない、制限しない

と、こんな感じで自分の心に従い続けていたら、いつの間にか常識やしがらみに囚われないようになりました。

人生においてマイルストーンを設定することが悪いと言いたいのではありません。年齢に縛られて苦しい思いをする位なら、縛られないようにした方が楽なのではと言いたいだけなのです。

たまに周囲から「早く結婚した方がいいよ」「ちゃんと正社員になった方がいいんじゃない」「男なんだから、もっと稼がないとね」など、心配されることはありませんか?

その人達が気遣ってくれているのは確かです。でもその心配は「私はあなたが早く結婚した方がいいと思う。その方が幸せになれるから」というように、その人達の物差しで測って心配している可能性があります。

もしもその時に、同意できないのなら、十分楽しい生活を送っていたのなら「心配してくれてありがとう。でも私は大丈夫だよ」と言いたいですよね。

人生は一度きり。

自由に、そして自分本位に、楽しく生きたいものです :) 

Photo by Aditya Saxena

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