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味を繋ぎ、伝える

この夏、祖母の手作り梅干を食べきった。
今年90歳になる祖母は10年程前に一緒に暮らしていた祖父が亡くなったタイミングで、長らく暮らしていた家を売り払った。
東京都内のとある住宅地にある一軒家。
私は祖父母の家の庭に植わっている草木の恵みを四季折々に感じるのが幼い頃から大好きだった。
山椒、梅、どくだみ、茗荷、ザクロ、柚子…
梅の季節は毎年、青梅を収穫し、梅シロップや梅酒、追熟させると梅干を大量に仕込んでいた祖母。
自家用で食べ切れる量以上に作っていたので、台所裏の貯蔵スペースを覗くと、一体何年前に仕込んだのだろう?という琥珀色に熟成したシロップ類や、大きな瓶に入った梅干がそこかしこに置かれていた。

私の食生活の中に、祖母の梅干があるのは「当然」のことだった。
けれど、10年前に祖母の梅仕事がストップした時から、その「当然」が、次第に「貴重な」一粒へと変わっていった。

この10年の間に私は2人の子どもに恵まれた。
子どもたちも祖母の梅干を食べて育ってきた。梅と塩と赤紫蘇だけのシンプルな梅干しはとても酸っぱい。そのまま食べるのは子どもたちにとってかなりハードルが高いので、少しだけ蜂蜜を加えて甘くして、おにぎりや梅和え、風邪を引いた時のお粥…最初は何も気にせず、パクパク食べていたけれど、いつしか祖母の梅干が減ってきていることに気づいて、大事に食べるようになっていった。

そして、このままではあと1年足らずで無くなってしまう、と気づいた去年から、それまで結婚してから毎年作っていた梅シロップに加え、梅干も自分で作るようになった。
子どもたちは「ちゃあちゃん(祖母のこと)の梅干とやっぱりちょっと違うね~。ちゃあちゃんの梅干がもう食べられないの寂しいな…」とポツリ。
やっぱり私の作る梅干よりも、祖母の梅干か、と内心がっかりもしていたが、今年の梅仕事の時期。子どもたちが「ママ、今年も梅シロップと梅干作るでしょ?」と。

その言葉を聞いた時に、ふと思った。
こうして、味が受け継がれていくのだろう。
こうして、文化というものが形成されていくのだろう。

例え作り手が変わっても、その身体に根を張った味、というのは簡単には忘れられない。

祖母から自分の子どもたちへ命を、そして、味を繋いでいく途上に私はいる。
だから、来年も、これからも、私は梅干を作り続けるのだろう、と。

#未来のためにできること #梅干し #味を繋ぐ #梅仕事

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