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【うつ・愛着障害】親をさがす人生にピリオドは打てたか?(覚書)

パーソンセンタード表現アートファシリテーター/心理カウンセラーの洲崎加容子です。


私は親から守られた、という実感がありません。

私を支える根になり、滋養を与え続ける場所としての家は有りませんでした。

実家はあっても、其処は帰る所ではありませんでした。

社会的に地位のある父と気位の高い母のいる外見だけは良さそうな家。

家庭の中に入ると冷え冷えとして、機能不全の両親からは衣食住は与えてもらえたものの、実質的にはネグレクト(養育放棄)にちかい扱い。

両親と子供三人の5人家族は、それぞれが全く別の方向を見ていて、心は離れ離れでした。

やがて家族はそれぞれの道を歩きだして、心も身体も離れ離れになって、その後5人が一堂に介したことは遂にありませんでした。


あの家は冷たく空疎だった、という印象を引きずったまま、私は実家を離れて社会に出ました。

子供時代に時間が凍結したまま身体だけ大人になった私は、心はやはり何時も親を求めていたんでしょう。


元夫に出会ったとき、こんな人を探していた、と飛び上がるほど喜びました。

歳も一回り上の大人だし、夫であると同時に、父のようでも母のようでもある、私にとって理想の旦那さんだと思えました。

一本の大樹のような頼れる存在から守られていたい、海の懐に抱き止められて暖められていたい。

小さい子供が親に求める庇護欲求を、元夫は満たしてくれそうな人でした。

私は親代わりになってくれる人が欲しかったのでした。

振り返れば、親を探しているような人生だったとも言えます。


四年前に人間関係で大きなトラブルがありまして、別の記事で何度か触れているので、ここではくわしく語りませんが、よくよく内省してみると、私はその相手の人に無意識にですが「理想の親」を求めていたようです。

支えてほしい守ってほしい、という依頼心が私にあったことが遠因にあって起きたトラブルだったと分析しています。

一人の自立した人として関わっていたら、起きなかったと思います。

その時の事件は私に大きなダメージをもたらしましたが、その件が切っ掛けになって両親との未完了の問題に取り組み、未完了を完了させることができました。

なぜ、このタイミングで起きたのか、子供時代を卒業するために、大いなる存在が意図したことなのでしょうか?


私はもう親を探さなくていい。

心の中に愛する存在を住まわせることが出来たからです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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💎洲崎  加容子(すざきかよこ)パーソンセンタード表現アートセラピーファシリテーター/SORAピプノセラピスト/産業カウンセラー/自己探求家20年の治療生活の途中、石垣島移住のすえ、愛着障害、複雑性PTSD、解離性障害を克服  セラピーおたく/ボディセラピーが好き

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