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幸せになるには「良くなろうとしない」こと

タイトルの「良くなろうとしない」
という言葉は、
さいきん毎日、見ている
マドモアゼル・愛さんの
動画のタイトルからいただきました。

愛さんといえば、
いまさら言うまでもない大御所的存在ですが、
You Tubeでも有益なメッセージを
発信されています。


「幸せになるには、良くなろうとしない」

つまり

「良くなろうとすることを諦めたとき、
幸せになる」

ということですが、
この言葉に思わず感銘を受けた
あなたや私は、
ある程度の年月を経た人だと推察します。

「幸せになるのは、
良くなろうとすることを諦めたとき」

一見、逆説的だけど
この言葉が真実だと気づくのは、
幸せにとなろうと努力を重ねても、
達成しない不幸が
私たちの後を追いかけてきて、
私はいま不幸なんだと認めたときに、
達成しない不幸がやっと終わる
という経験をしたあとです。

「不幸を認めると、不幸は終る」
と動画のなかで
愛先生はおっしゃっています。

そのとおりだと思いました。

それは
努力して、やれることは全てやり切った
あとに達する境地であるし、
努力した人でないと
手放すことはできないからです。


私は数日前の↓の記事で、
被虐待児でサバイバーの私が
治療に半生を費やしてきたこと
を明かしました。
さらに
回復することに目標を置くのを諦めて
傷を抱えたままで生きていくことにした
ことなどをまとめました。

諦める気になったのは、
この二十年間、
お金と時間が許す限り
治療に費やしてきて
手を尽くしたからです。

そこまでやれたのは、
一つはセラピーや自己探求がすきだし、
もう一つは絶対に良くなってみせる
という執念みたいなものがあったのです。

しかし、回復には遥かに至らなかった。

回復への道のりの終わりは
依然として見えてこなかった。

まだまだ道は続く。

しかし、じゅうぶんやったから
手放す気になったのでした。


今回、「すべてはありのままでいい」
という諦観に達したことは、
一つの大きな節目ではあるけど、
それはまた同時に
これから本格的に始まる浄化のプロセスの
助走なのかもしれない
という気もしています。

というのは、
ここニ、三日、
閉じ込めてきた数十年前の怒りが
吹き出してきたからです。
そんなに怒っていたのか、私は、
というぐらい凄まじい怒りです。

たましいの復権の怒り。

閉じていた感情との回路がつながって、
ああ、これでやっと私は真人間になれる
と叫び出したかった。
これまでが可笑しかったのでした。
感情の無いロボットのように生きていたから。

回復を目指すことを諦めて
いまの私で生きていこうとすると、
かえって
停滞していたものが流れ出したのでしょうか。



私の原家族はどちらかといえば
特殊な人たちかもしれませんが、
これは誰にでも言える、
ということがあります。
それは、
いまの自分を否定して変わろうとしても
絶対に変わらないという事です。
そして、
こうあるべき理想の自分ではなく
等身大の自分を受け入れたとき、
はじめて安らぎが訪れるようです。


以下はYou Tube
「良くなろうとしない」
から愛先生の言葉。

「これが私の人生だと受け入れること以外、
人生の目標はないのです」

「これでいいのだと思えるまで、
迷いの旅は始まっていくし、終わらない」

「良くなろうとすることを捨てると
上手くいく」

「いま私は不幸なのだと苦しいけど受け入れると、天とつながって本当の救いが訪れる」

気になった方は聴いてみてください。



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