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【愛着障害・うつ・AC】いまは、もうしばらく覚えていたいから

子どもの自立にとって必要なのは
親の自立とは
まったくそのとおり。

自立していない親は
自分の不全感を癒やすために
子どもを使う。

いわゆる毒親さん。

毒親さんにからまれた子どもは逃げ出す。

しかし
毒親さんと絶縁するのは、
激しい執着の裏がえしである。

どんなに遠くに逃げても
精神的に
親のコントロール下に置かれていることには
変わりはない。

ほんとうの意味の自立とは
ほど遠い。


トラウマボンド
という言葉がある。
ボンドは接着剤のことだ。

心理の専門用語で、
誘拐、監禁の犯罪者と被害者のあいだに
また、虐待の加害者と被害者のあいだに
生じる絆のこと。


人は不思議なもので
自分を傷つける他者に執着するようになる。

DVの被害者が
自分をあんなに傷つけた加害者のもとに
戻ってしまうのも
トラウマボンドのせいなのだ。 

有害だとわかっている人間関係を
なかなか断ち切れない人の 
なんと多いこと。

しかしそれにはそうなる理由がある。


私も実は
母親を断ち切ろうとして
断ち切れないでいた。
私を虐待した母親である。

あるとき
母親にまつわる品を
きもの、写真、手紙など
思い切って処分しようとした。
母親へ激しく執着している自分に
ほとほと嫌気がしたのだ。

それまで母は
私の中では
憎しみの対象であると同時に、
ほとんど崇拝の対象に近かったと思う。


すべて無になってしまえ。

最後の一枚の母の写真を破り捨てた時
動悸が激しく打ち出した。



どんどんどんどん。

何かが激しく抵抗している  
と思った。


人の心とは
なんと不思議な構造をしているのかと、
思う。

私の中に
母親を憎んでいるパーツと
母親を愛しているパーツがある。

二つのパーツは葛藤している。

母親を愛しているパーツは、
命綱につかまるように
母親との思い出と繋がっていたがっている。
まるで赤ん坊が臍の緒とつながって
母親の胎内で安息しているみたいに。

だから
母親を憎んでいるパーツが、
母親を愛しているパーツに
出て行け、
と言っても
出て行くことはない。


なぜなら
それぞれのパーツは
環境に適応して生き抜くために作り出した
一つのチームだからだ。
それぞれの人格があって、
意地もプライドもあり、
存在理由がある。

激しく動悸が打ったのは、
母を愛しているパーツが
激しく抵抗したのだろう。


要らなくなったパーツに
「これまでよく頑張ってくれてありがとう。
これからはあなたはお役御免です。
出て行ってください」
と切り捨てようとしたら
どう思うだろう。

要らなくなったパーツは
傷ついて涙を流しながら
「あたし、意地でも出ていかないわよ」
と言わないだろうか?

トラウマ治療は親の美化を外すのが難しい。

パーツの気持ちになって
話をよく聞いて
存在を認めることから始めるしかない。

そのことを知ってから、
これまで私を必死で支えようとしてくれた
パーツのすべてを
今はいじらしいと思うし、
感謝の気持ちさえ湧いてくる。


すべてのパーツを愛して受け入れたとき
ほんとうの安らぎが訪れるのだろう。



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