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【愛着障害・うつ・AC】長い夜が明ける③禍福はあざなえる縄のごとし


元パートナーたちとの共依存について振り返りました。

二人の間に作り出した関係性とその構造を冷静に分析しました。

日の当たらなかった暗い過去に日を当てると、思い違いをしてきた事や見えていなかった光の面が立ち上がって来ることがあります。

あれからずいぶん経ちます。

あの頃とは視点も変わってきています。

あんなに我慢してよく耐えていたと我ながら痛々しく思いますし、どうじに他人事のように突き放して見る余裕もできました。

いまなら過去の経験を、新しい目で見て、新しい解釈を加えることができます。


それにしても、なぜその相手だったのでしょうか。

分かるような気がします。私たちはドンピシャリのタイミングでドンピシャリの場所にいる、といいます。ほかの人ではなくて、その人だった。出会うべくして出会った学びがある関係だったのでしょう。

起こるべくして起こり、出会うべくして出会うのでしょうか。

無駄な時間だったと言えばそうとも言えますが、人は転んでも何かを掴んで起き上がるみたいです。そういうふうに出来ているみたいです。

私も今まさに何かを掴んで立ち上がろうとしています。

陰が極まれば陽に転じるように、ものごとは白が黒かの単純なものではなく、光と影は不可分なのです。そのことをたくさんの経験が教えてくれています。

彼らとの出会いが、いまの私を作っているのは間違いないのです。

被害者だったことは一面の真実です。たしかに彼らとの関係は苦痛をもたらすものでした。

しかし、もしも彼らとの出会いが無かったなら、いまの私は無かったのです。いい意味でも、悪い意味でも。

元夫は事業家でしたが、側にいたことで経営者感覚が気がつけば身についていたし、そしてなにより善悪を超えた夢と現実の境目のないような不思議なキャラで、私を見えないスピリチュアルな世界に導いてくれました。


社会人になってからの彼氏はフリーランスのコピーライターでした。冒険することと人生の切り拓き方を教えてくもらいました。


彼らとの出会いが今の私を作っているのは間違いないのです。いい意味でも、悪い意味でも。

彼らとの出会いが私の人生にもたらした不幸せと幸せを、両天秤にかけてみると、どちらが重いのでしょうか?

簡単にどちらが重いとも言い切れないような気がしないでもありません。

光だけを取り出そうとしても、その裏にはぴったり影が貼り付いて離れないからです。

ここしばらくは苦くて甘い余韻を噛み締めているのでしょう。

そしていつか、あの頃はそう悪くはなかったと思える日が来るかもしれません。



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