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#27 目の前に見えている世界〜違いが生まれる時〜

(1)

今、目の前に見えている世界は、記憶でできている と言われています。
私たちは当たり前のように、目の前のものを見て・聞いて・臭って・感じて・味わっていますが、それは一体どのような仕組みでそうなっているのでしょう?

例え話でよく出されますが、コンピューターとして、まずは簡単に考えてみます。

コンピューターは、
大きく分けると、

入力→処理→出力 の仕組みがあると思います。

音楽を聴く時
映画を見る時
本を読む時
料理を作る時
仕事する時

日常でも沢山の情報を取り入れ、処理し、
反応したり、選択したり、
考えたり、言葉にしたり、出力の方法も様々ですが、
このようなことを生まれた時からやっているとも言えます。

人間は、これまでに何かしらで知り得たそれらの情報を基にして
目の前にあるものの情報を処理していることがわかっています。

これまでの記憶で、目の前のものを見ている、
今までに、全く見たことも、聞いたこともない、ものに関しては、
認識にあがらず、目の前にあったとしても、見えていない=存在していない ということになります。

(2)

先日、こんなことがありました。
幼稚園の息子はナイキのダイナモというシリーズの靴を履いていますが、

ナイキのマークが、必ず外に来るようにすると(左・右)間違えずに

履けるんだ!!!と言ってとても喜んでいました。

人間の生まれてから成長していく過程で、通る道かと思いますが、
シャツの後ろと前を反対に着たり、
靴の左・右を逆に履いたりすることがあります。

左・右の違いを当たり前のように認識している大人からすると
市販の靴なら左と右の違いは一目瞭然です。

その違いを果たしてどのように獲得したのか??と考えると
興味深い話です。

(3)

お世話になっている先輩方と、その話をしていると、

それは彼(私の息子)の中で 一般的にいう、その靴の
左の靴と、右の靴の 『違い』が 認識の中に誕生した
瞬間なのかもしれないということ

単純に左・右の違いだけではない何かを発見した可能性もあるかもしれない

という話になりました。

左・右の違いは当然のようにある世界からすると、
それまで何度となく、左・右を反対に靴を履く状況が
とても不思議だったのです。

左・右の違いがない世界の想像は、なかなか難しい理由が
わかったような気がしました。
すでに、左・右に見えてしまっているわけです。

人は、沢山の情報をどのように認識するのか?は
常日頃から無数に起こっていることです。

更には、私たち自身もその情報社会の一部でもあります。

情報がたくさん生み出されていると言われる社会の中で、
必要・不必要かは別の話として、
知っておきたいことは、まだまだたくさんあるな、と思います。












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