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別居1ヶ月して「ふたりがよかった」と初めて思ったこと。

1ヶ月たちました。時間薬で、時間がたつにつれて自分の心境が変化していく。それを自己観察しているのが面白い。笑

自由になって、とにかく嬉しくて、飛んでっちゃいたいくらいの開放感を味わう。我が家から怒りのエネルギーが消えて平和で穏やかになる安心感をとことん味わう。平和が標準になる。

その反面、離婚のために弁護士さんに相談したり、あれやこれや、めんどうくさいなあと思うことや、心の傷をつつくような痛みとかあったり。アップダウン激しい。

でも、夫がいなくなっても、「さびしい」と思うことは一切ない。寂しくはないけど、「ちゃんと生活できてるかな」「ちゃんと食べてるかな」「寝込んだりしてないかな」などと気にかかる。


別居してちょうど1ヶ月の日、不動産会社から連絡があった。家の借主が私一人になったことで、まあ、公的な手続きがいろいろ派生する。それについての案内。

もともとの借主は夫婦だったけど、お金を出していたのは全部私だし、夫がいなくなっても、何も変わることはないけれど、手続きはひととおりしなければいけない。

そこでふと思ったのは「ふたりだったらよかったのに」。

今までだったら、事実上責任持つのは私だけど、表に立つ部分は夫にまかせていた。だって、男性でヨーロッパ人。悔しいけれど、アジア人女性の私より、その存在だけで信頼度が高い。私は、夫の影に隠れて夫を操作していればよかった。笑

それが、ひとりになって、全部自分でやらなきゃいけない。表にたって交渉したり、手続きしたりするのも私。

「ふたりがいい」は「不安」に由来する。不安があるとき、ひとりじゃなくて、ふたりだとちょっと安心する。ちょっと強くなれる。ひとりじゃくじけそうなことも、ふたりだと乗り越えていける気がする。頑張れる。

たかが、不動産賃貸の手続きだって、英語だし、結構大きなお金のからむことだし、不安は不安なのだ。私だって。笑

確かに、私たち夫婦は、ふたりでいろんなことを乗り越えてきた。一人じゃ挫けちゃうような数々のこと。

大西洋や国境をまたいだ移住を繰り返した。
見知らぬ国での生活。
言葉のわからない国での暮らし。
2−3年ごとの引越し。
お金がないのに切り抜けたあれこれのこと。

これは全部カオス。一人だったら大変。二人だったから頑張れたと思う。

でも、と、ふと思う。

そもそも、私一人だったら、こんなこと、初めからしなかったよね?・・・って思うこと多々。だいたい、トラブルをもってくるのは夫で、私一人だったらトラブルの数はものすごく少ない。引っ越しするにしたって、私一人だったらもっと計画的。だいたい、彼に出会う前の、太平洋をまたいだ日本からカリフォルニアへの引っ越しは、ちゃんと計画的だった。彼に会ってからの行動が、いちいち全部私の標準値の安心レベルを超えていて、全てがカオスだった。

私は、挑戦は好きだけど、無茶はしない。


二人だったから、トラブルが多かった。
二人だったから、乗り越えられた。



この夫がいなくて、私ひとりだったら、こんな「冒険」はしなかった。私一人ではできない経験を、この夫がいてくれたからこそできた。

これは嫌味でもなんでもない。トラブルは冒険だった。挑戦だった。冒険も挑戦も好きなので、私一人でもいろいろな挑戦をするけれど、夫がもってくる数々の問題は、私一人だったら最初から選ばない種類の冒険だった。

夫と20年間人生をすごしたことで、私の人生は、より破天荒になって、冒険がいっぱいになった。

大変だったけど、面白かった。
きっと、私がこんな無茶な経験をするために、神様は私たちを引き合わせたんだと思う。笑


だったら、やっぱりこれからも「ふたり」がいいか?・・・というと、やっぱり「もう、ゴメンだ」と思う。

あの人がもってくる挑戦じゃなくて、自分自身が望む挑戦に残りの人生は力を注いでいきたい。その力を発揮するために、家は私が安心していられる、基盤になる場所にしておきたい。



ひとり。
不安なこともひとりで乗り越えていく。

これまでの冒険があったから、一人でも全然大丈夫なくらい強くなったと思う。これから本当にひとりになって、もっと強くなるんだろうなあ。

もっと、可愛げなくなるんだろうなあ・・・。苦笑





石川華代 オフィシャルページ


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