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長崎丸山遊郭を勉強する①


ここしばらく、とある機会を得て江戸時代の長崎丸山遊郭を勉強している。
スタート時点の知識を素直に書いておきたい。以前に横浜港崎遊郭の浮世絵(以下の図)に描かれた「客層」に興味を持って、その開設時に営業形態を手本にしたという、長崎丸山遊郭をちょこっと調べた程度である。

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「横浜港崎廓岩亀楼異人遊興之図」歌川芳員 大判錦絵3枚続 メトロポリタン美術館所蔵 ※万延元年


丸山遊郭といえば「異国情緒!阿蘭陀!出島!」くらいしか知識がない状態から、おおまかに江戸初期から幕末までの流れを調べたらいいかな~?程度のかるい感じではじめてしまった。しまったのである。

結果、いまわたしになにが起きているのかというと、
GO TO 長崎 、したい。
長崎市内を実際に歩いてみたり、図書館に行って市史を漁ったり、歴史博物館とか行けば解決する問題のような気がするんだが?という状況である。
GO TO は自粛するけども、疑問が解決してしまう自信しかないんだが?という悶々とした考えに支配されている。

「丸山遊郭の仕組みってどうなってるんだ?」
「もしかして学生時代から興味のない世界史や外交史を知らなければ、長崎はわからないのでは?」
「丸山と横浜港崎以外にも異国人受け入れ遊女屋あったんだ」
「長崎、坂おおすぎて、もしかしてGooglemapのストリートビューが使えないのでは…」
「丸山遊郭を描いた浮世絵が少なすぎる」
「ちょっと江戸時代わけわかんなくなったから江戸年表つくらなきゃ」

などなど。調べれば調べるほど知らないことや疑問がわいてでてくるので、とまらないやめられない状態におちいっている。
まぁ…楽しいからいいんですけど、心優しい賢人フォロワーのお知恵をお借りしながらの勉強である。
賢人フォロワーの皆様、いつもありがとう。
いつか丸山遊郭跡ちかくの福砂屋のカステラを贈らせてください。

興味があちこち飛んで三日坊主やさぼりがちになるのと、勉強したことの順番を忘れがちなのでノートや備忘録がわりに更新していきたいと思う。
これは研究者でも学生でもなんでもなく、単純に暇な主婦による「興味をもったから長崎丸山遊郭を調べたら、勉強することが増えていった」記録になる予定である。


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