かや乃

現代の価値観に照らし合わせると差別的侮蔑表現を使用している点に注意してお読みください。…

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現代の価値観に照らし合わせると差別的侮蔑表現を使用している点に注意してお読みください。当記事は慰安婦問題、売買春問題、ジェンダーやフェミニズムなどの社会問題・運動などの有無や是非について語る意図はありません。また地域や職種・人種を差別する意図はいっさいありません。※無断転載禁止。

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  • 風俗というお仕事

    風俗業界にいた頃のはなしとかはこちら。 エロはない。

  • 長崎丸山遊郭を勉強する

    江戸時代の丸山遊郭周辺について勉強したことを淡々と積み上げていくノートです。 職業としてはエロ要素ありですが、残念ながらこちらのノートにはエロ要素の表記はありません。 現代の価値観に照らし合わせると差別的侮蔑表現を使用している点に注意してお読みください。また、当記事は慰安婦問題、売買春問題、ジェンダーやフェミニズムなどの社会問題・運動などの有無や是非について語る意図はありません。また地域や職種・人種を差別する意図はいっさいありません。

  • 新吉原遊郭をテーマに創作する為に

    江戸時代から明治にかけての新吉原遊郭についてのツイートまとめ、新吉原遊郭の区間や地理の勉強まとめ

最近の記事

長崎丸山遊郭の遊女を出島や唐人屋敷に呼んで、遊び代を砂糖で支払ってもらって銀換算で遊女に渡すまでのながれ

はじめに唐人屋敷や出島のオランダ商館といった、異国人居留地に遊女を呼ぶときのながれが、あまりに面倒くさくて把握するのが大変だったので図にしました。 仕切遊女、名付遊女は個人間の契約であるので、このシステムではありません。また、ロシア人居留地にある稲佐遊郭もこのシステムではありません 日本が鎖国政策をしていた期間は、異国人は基本的に長崎の異国人居留地から外に出られませんでした。日本人との自由な交流を規制していた理由は、キリスト教の布教と自由貿易の規制、密輸防止のためです。 と

    • 『新吉原遊郭区画図』を自作してみました。(中編)

      まずはじめに、ここまで一緒に地図を調べてくださったサキチさん、調べる機会をくださった先生と、翻刻に御協力頂いた皆々様に感謝を申し上げます。 前回の記事で、「江戸二丁目は、江戸二丁目・伏見町・境町(堺町)の三つの通り(区画)が『江戸二丁目』である」と書きました。 いまネット検索や書籍などで探すことのできる「江戸時代の新吉原遊郭図」は、時代による街並みや区画の移り変わりを無視しているものがあります。 大きく変わった区画は、前編①②で触れてきた江戸二丁目になります。 ほかは京町二

      • 羅生門河岸にあった長屋見世(切見世)のつくり

        最近、某作品で検索されているかたがおおいので、以前に植田朔乃介(旧サキチ)さん @usakiti_work と検証した長屋見世の構造を寸法つき画像で公開します。 長屋見世についての説明は下記記事にて行っています。 https://note.com/kayanoya/n/n20756223356d ※当記事では『守貞漫稿』、『江戸の町方』石井良助、『江戸吉原図絵』三谷一馬、『陰に咲く花ー吉原下級遊女考』日野原 健司 2009 を中心とし、ほかに浮世絵などをまじえて検証を行いま

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        • 江戸時代の新吉原での中見世と小見世の『玄関』のつくり

          中見世と小見世(大町小見世/小格子小見世)の勉強と、説明のために作成したノートがあります。 手書きで汚い字が恥ずかしいので、きちんとパソコンで作りなおします(という決意をこめて晒す)。 ■五丁町とそれ以外の見世の違い

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        記事

          『新吉原遊郭区画図』を自作してみました(前編②)①の訂正箇所あり

          前回までの記事は上記リンクからどうぞお読みください。 ■伏見町について■伏見町の遊女屋について 前編で『伏見町は両側に遊女屋がある』と書いてしまったのですが、訂正します。 ①吉原細見の伏見町の頁の読みかたを間違えていました。 正しくは、図1のとおりです。 通りを挟んで両側に遊女屋があるのではなく、見世の並びの表記が独特なものになっているんですね。 ② ①の*図1を踏まえて、弘化4年の沽券図、吉原細見、遊郭図をつけあわせて、細見から各遊女屋を切り取って並び変えてみました

          『新吉原遊郭区画図』を自作してみました(前編②)①の訂正箇所あり

          『新吉原遊郭区画図』を自作してみました。(前編①)

          ■とにかく先につくった区画図を見て欲しい道幅・下水幅は沽券図*注1である『新吉原之図』*注2から引用しています。自分で読めなかった箇所を翻刻してくださったのは亀井さん(@kameiasami)です。本当にありがとうございました。 ■区画図を作成する際に参考にしたもの 文末に「参考文献」としてまとめます。 ■江戸二丁目区画について『新吉原之図』*注2に『堺町跡』としか表記のない堺町通りのあった場所の道幅はそのままの数字をつかいました。 また、伏見通りは遊郭図*注3や吉原細

          『新吉原遊郭区画図』を自作してみました。(前編①)

          『お歯黒どぶ』は、ほんとうに遊女たちのお歯黒で濁っていたのか?

          ■『お歯黒どぶ』は、江戸時代の『水道』である 江戸時代、すくなくとも新吉原遊郭では、すでに下水道*注1が使われていました。 下水道とはなんなのか。文章で説明すると長くなります。細かく知りたいかたは江戸時代の下水道についての著書*注2もある下水道史研究家 栗田彰氏のインタビュー記事*注1をおすすめします。 現在との違いを比較図*図1にしてみました。 *図1 ※水売りについて*注3で別表記 図①から簡単に説明しますと『お歯黒どぶ』は、新吉原全部の雨水排水(雨落下水)

          『お歯黒どぶ』は、ほんとうに遊女たちのお歯黒で濁っていたのか?

          新吉原遊郭にあった大下水(メモ)

          Twitterの検索が最近のツイートしかできなくなったのも知れませんが、過去ツイで拾えたものだけ。

          新吉原遊郭にあった大下水(メモ)

          長崎遊郭の特殊性『価格帯別』

          長崎遊郭は先にあった丸山町に、あとからつくられた寄合町のふたつの町で構成されています。 古地図や長崎を描いた絵から、埋立地(新地ともいいますかね)が増えるまえから山あいに丸山町らしきものが見えるので、長崎では「やま」「宿」と呼ばれていたそうです。 ※以下、表記簡略化して「長崎遊郭」に表記統一します。 長崎遊郭の特殊性/個性はいくつかあるのですが、なかでも ・鎖国政策下に唯一異国人を受け入れる「幕府公許の遊郭」地であったこと ・揚代の支払いが「砂糖」を使った例がみられること(

          長崎遊郭の特殊性『価格帯別』

          進捗報告

          我慢できなくて、とうとう「丸山遊女と唐紅毛人」買っちゃいました、清水の舞台から二回くらいバンジージャンプする勢いで。 結果から報告すると「このnoteの半分くらいは訂正はいるのでは?」です。 読みながら真顔になっています。 やっぱりこういうのは最初のほうに読まなきゃいけないんだなと、本当に清水の舞台の奈落の底から思いました。 頑張って訂正したいと思います……。

          進捗報告

          なぜ唐人行と紅毛行が分かれたのか?

          タイトルの問題について考えていたのですが、調べても答えが見つからないので以下は推測です。 宣教師がくるまえから長崎はそもそも港町であり、さまざまな国の船が訪れ、ときには難破や漂泊船がたどり着くなどしてきた土地です。 日本人とそうでない国籍の人が境界線をもうけず暮らすことを”雑居”状態と呼ぶのだそうで、それをごく自然に受けいれて暮らしていたようにみえます。 平戸にはもとから遊女屋があり、唐人水夫たちがそこを訪れるのも制限はなかったようです。おなじ平戸にオランダ商館ができたとき

          なぜ唐人行と紅毛行が分かれたのか?

          勉強する④の修正です、⑧『丸山遊女の種別と客種』③ 2020年2月追記

          これは『「なんか気軽に丸山遊女を調べだしたら時代別ではなしが変わってきたぞ……?」と途方にくれた結果、時代別に図をつくってみた』という記事です。さすが天下泰平の徳川、江戸時代が長っっがーーーい!!です、つらい。 そもそも長崎丸山にいつから遊郭ができたの?というはなしなんですけど。このあたりは戦国時代から江戸時代、それと日本に貿易を申し込んできた国との外交史もみていかないと、単独での丸山遊郭史ってあまりおもしろくないことに気づいてしまったのです。 そしてわたしは世界史ぜんぜん

          勉強する④の修正です、⑧『丸山遊女の種別と客種』③ 2020年2月追記

          勉強する④の訂正です、⑦『丸山遊女の種別と客種』②

          この記事は先に公開してしまった下記リンク先記事の訂正と、更に細かく時代別にわけた「遊女の種別と客種」になります。 記事中の以下の部分に訂正をいれていきます。いやもう本当に当時の長崎丸山遊郭関係者に投げられた豆腐の角にあたまぶつけて泣きたいくらい恥ずかしいです。 ①日本行遊女 訂正前) 日本人しか遊客にとらないという最上級の遊女のはずです……が、②から説明する遊女たちの存在をみると、実際どうだったのだろうという疑問は残ります。 訂正後) 長崎に住んでいたり仕事にきている武士

          勉強する④の訂正です、⑦『丸山遊女の種別と客種』②

          勉強する⑥『丸山遊郭周辺の奉行所関連について』

          ずーっと悩んでいたタイトルのつけかたを変えてみました!そっとアドバイスをくださった賢人Sさんにこの場を借りて感謝のミルクを捧げさせてください。 最初に貼った図ですが、これはもともと自分が江戸長崎を理解するために手書きやExcelで作ったものを、むりやり図にして清書(清書?)してみたものです……が、おわかりでしょうか……? この令和に対応できていない隠しきれない昭和感と雑さ。めちゃくちゃ図をつくるのが下手で自分でもびっくりです!! なぜこれを作ったのかというと、丸山遊女を出

          勉強する⑥『丸山遊郭周辺の奉行所関連について』

          勉強する⑤『通事通詞関連のおすすめ論文』

          ただいま前回記事の訂正と補足記事を作成しております。 当時の丸山遊郭の皆様ならびに長崎奉行所の関係者の方々申し訳ありませんっ!!!とお墓にむかって謝りたいです……。 ところで。丸山遊郭といえば異人、異人といえば通訳。というわけで、当時の通訳の方って大変だったんだな…というのが伝わる論文を僭越ながらご紹介させてください。 『日本におけるロシア語学習・研究の最初期について-記述の試み』岩井憲幸(明治大学 1988) こちらに引用した論文の12頁から紹介されている、蘭通詞で

          勉強する⑤『通事通詞関連のおすすめ論文』

          勉強する④『丸山遊女の種別と客種』※⑦⑧がこの記事の修正版になります

          長崎沼世界史担当の某Sさんこと、うさきち(@usakiti_e)さんに頂きました。ありがとうございます!一緒に底なし沼にしずんでいこうね(笑顔)!! ところで丸山遊郭とは?成り立ちをひとことで説明できないので検索してみました。 この説明でなんとなくどういった目的の遊郭だったのかはご理解いただけたかと思います。 でも、ちょっと用語の意味、わかんなくないですか?「鎖国してるんじゃなかったっけ?」「阿蘭陀人のほかに露人館?てかポルトガル人ではなく?」ってなりませんか?わたしはで

          勉強する④『丸山遊女の種別と客種』※⑦⑧がこの記事の修正版になります