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『新吉原遊郭区画図』を自作してみました(前編②)①の訂正箇所あり

前回までの記事は上記リンクからどうぞお読みください。

■伏見町について

■伏見町の遊女屋について

前編で『伏見町は両側に遊女屋がある』と書いてしまったのですが、訂正します。

①吉原細見の伏見町の頁の読みかたを間違えていました。
正しくは、図1のとおりです。
通りを挟んで両側に遊女屋があるのではなく、見世の並びの表記が独特なものになっているんですね。

図1
引用図 吉原細見 弘化4年 国会図書館デジタルコレクション

② ①の*図1を踏まえて、弘化4年の沽券図、吉原細見、遊郭図をつけあわせて、細見から各遊女屋を切り取って並び変えてみました。*図2

図2

同じ年のものでも、それぞれ店の並びが違うのはどういった理由があるのかはわかりません。弘化2年の火事*注1 から再建したばかりなので、お店が増えたり減ったりと入れ替えが激しかったのかもしれません。

■江戸二丁目の遊女屋以外の商店について


遊女屋以外にも普通の商店があるのをみつけたので該当箇所をマークアップしてみました。
伏見町だけではなくて、ほかの五丁町や仲ノ町通りにも商店や飲食店、質屋はありますし、芸者置屋や民家もあります。
図3の右下は吉原大門横の門番所になります。仲ノ町通りを挟んで反対側が四郎兵衛会所になります(混同されがちですが、まったく別のものです*注2)。
左側お歯黒どぶ沿い、弘化4年頃は番人小屋が軒を連ねていたようです。

図3 赤が一般商店、黄色が番人小屋
吉原弘化四年図 国会図書館デジタルコレクション

■伏見町についてのまとめ


① 吉原大門をはいってすぐ左側にある江戸二丁目は、伏見町・江戸二丁目・堺町の三つの町で構成されていた時期がある。
② 伏見町は通りを挟んでお歯黒どぶを背にしたほうが遊女屋があり、反対側は江戸二丁目の背側に商店がいくつかあった。
③ 伏見町には、中見世・小見世・小格子見世の三価格帯の見世が混在していた時期がある。

次こそは『堺町』に行きたいです。

参考文献など

注1 江戸と座敷鷹 http://sito.ehoh.net/yosiwara5.html
注2 『江戸町方の制度』石井良助編集 新人物往来社 昭和50年


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