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冷や汁とハマダさんの思い出

 私には3年と少しの間一緒に暮らした血のつながらない父がいました。私が中学生の時の母の再婚相手です。
母は容姿には大変恵まれましたが男性運は全くもって大変でして、次々に変わる母の恋人遍歴を見守って大きくなりました。

 再婚相手の男性は母より9歳年上で奥様をだいぶ前に亡くされ子供さんもいませんでした。仕事先で母と出逢い彼が一目惚れしたそうです。
一緒に暮らすまで会えない日の夜は常に長電話でしたので、イライラした私は電話の向こうの彼にも聞こえるように大声で歌謡曲を歌ったり奇声を発して本気で母に叱られました。

母は彼を私に会わせる前から、ショーン・コネリーみたいだ、ジェントルマンだ、セクシーだ、ダンディーだといつも私にノロケていたのです。
実際に会ってみると確かに背が高くて、髪の毛が薄いところがそっくりでした。

とても穏やかで優しく、今まで母が選んできた恋人とは全く違うタイプの人でしたので、やっと母も幸せになれると感じ嬉しかったです。

ソファーで足を組み、いつも本を読んでいる姿が印象に残っています。『戦争の犬たち』『ジャッカルの日』等が本棚に並んでいたのを記憶しています。小説はフォーサイスが好きだったようです、他は中学生の私には難しく、手に取って読んでみましたけど、さっぱり意味不明でした。

 再婚する事は私が中学生で多感な時期である事をとても気にかけ慎重に考えてくれていたと亡くなってから母が教えてくれました。


突然できたお父さんに居心地の悪さと母を取られる不安と嫉妬を感じ、でも自分の事をわかって欲しい愛して欲しい、なのに優しくされると拒絶してしまう、思春期の屈折した精神状態でしたから「お父さん」なんて呼べるはずもなく、名字の「ハマダさん」と呼んでいました。亡くなるまで。

ハマダさんはよく珍しい料理を作ってくれました、高島屋で買った少し高級なソーセージ入りのトマト煮込み、スペアリブ、当時母も私もはじめて食べる料理ばかりでした。たぶん母と私を喜ばせるために目新しい料理を選んでいたのだと思います。
いつもハマダさんには冷たい態度の私が、こんなのはじめて食べた!美味しいっ!なんて言ったときにはハマダさんはとても嬉しそうでした。

ある日出張でハマダさんがいない夜、私は二人のベッドで母と一緒に寝ました。時々母と一緒に寝る事は私の習慣でした。
出張から戻ったハマダさんに、母は娘と一緒に寝た事を話すると、ハマダさんは喜んで泣いてたそうです、ハマダさんと母が一緒に寝ているベッドで私が寝てくれた事がとても嬉しかったんだそうです、自分は汚らわしいと思われているのではないかと気に病んでいたんだとか、、
いつもの事だと知っていた母は笑っていました。

ハマダさんの作るお料理はいつも美味しかったのですが、唯一美味しくないと言って残した料理が冷や汁です。
ハマダさんは鹿児島出身で、冷や汁は昔から食べていた自慢の料理。はじめて食べる母と私に自信たっぷりに作ってくれたので、私の反応にとても傷ついたと思います。当時大嫌いだった茗荷と魚の入った冷たい味噌汁にきゅうりが入っているなんて、子供の私はお世辞でも美味しいなんて言えなかったのです。

(本来は宮崎県の郷土料理みたいですが鹿児島が起源とも言われているみたいですね)


お酒もタバコもやらないハマダさんは肝臓癌になり9ヶ月の闘病生活の末に亡くなりました、特殊な癌だったそうです。
余命宣告を受けて付き添い続けた母の苦しみは深く、美しい母はげっそりと痩せ、艶々だった髪の毛も肌も変わり果て笑顔は消えました、ハマダさんも痛みと苦しみと精神的な混乱で、穏やかだった性格も薬の影響で別人のように神経過敏になり抑鬱状態になり、最後の1ヶ月位は朦朧とした意識のまま息を引き取りました。

お通夜では会社の部下の沢山の男性が皆、嗚咽する程泣いており、葬儀には、鹿児島、福岡、台湾からもわざわざ参列して下さった友人や会社関係の人もいました。大人が泣いている姿を目にした私は、はじめてハマダさんが沢山の人に慕われ尊敬されていた事、その人徳を知ったのです。

2人の苦しみと壮絶な闘病を見てきた私は、お葬式の悲しみの喧騒の中で一人ホッとしていたのを覚えています。
鼻の穴には綿が詰められ、内臓は研究のため大学病院に提供され、すっかり無くなってしまった髪の毛、落ち窪んだ頬、決して安らかとは言えない死顔のハマダさん。
ハマダさんを見ても私に悲しみはなく、やっと苦しみが終わった、、それだけしか感じる事ができませんでした。

たった3年ちょっと。
中学生から高校生のときの記憶なんて全てが曖昧なのに、ハマダさんとの生活や顔は鮮明に思い出せます。
今私はそのときのハマダさんの年齢も母の年齢も超えました。

今は茗荷も魚も大好きです。
もちろん冷や汁も。

今日は焼いた鯵の干物入り

今年の夏はじめて作る冷や汁、素麺にかけても美味しいです。今日はもち麦ご飯にかけて頂きました。

冷や汁を作る度、ハマダさんを思い出します。今日もゴマをスリスリしながら薄い髪の毛を気にするハマダさんの優しい笑顔を思い出していました。



お父さん、もう生まれ変わっているのかな、
お父さんが作ってくれた冷や汁、今は大好きです。
優しさと愛情に応える事ができなかった私を許してね。

またいつの時代か、どこかで逢えたら嬉しいです。そのときまで、またね。


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