見出し画像

わたしのこと。

初めまして。kayaです。

実は、前に別のTwitterからログインして、noteを書いていたのですが、そちらのTwitterを消して新しくしたので、noteも新規で始めることにしました。

わたしのこと。

自分でも、よくわかっていません。
人生何度目かの、もしかしたら、本当の意味では初めての、遅れてきたモラトリアムのような気がしています。

「『わたし』、って一体どんなひとなんだろう」

本当は、ちゃんとわかっているはずなのです。
私は、頑固で、意志が強くて、自分を曲げない。
これは違う、これは私には心地が悪い、これは嫌、そういうものには、全身全霊で抗うし、拒絶反応が出ます。

だから、ついこの間まで関わっていた場所や物事を全て放り捨て、また「ただの『わたし』」になりました。

また、「ただの『わたし』」になったのに、何だか人生で初めて、「本当に『ただのわたし』」になったような気がして、途方に暮れました。

今までも、私は「わたし」でいることに拘って、抗って、「わたし」を掴んで離さないようにしていた気がするのに、どうして。

不思議な浮遊感と、足元の覚束ない感覚のまま、時を過ごしていましたが。

そうか、誰かの望む姿でいようとしていたんだ、ずっと。そう思いました。
誰かに望まれることは、私にとっては喜びの一つだけれど。
私はとても不器用で、下手くそで。
誰かに望んでもらうためにいろいろやってみても、自分が望んだようには誰かに望まれるはずもないのに、そんなことは子供の頃からわかっていたのに、まだやり続けてしまっていたのか、と自分にがっかりして。

本当にがっかりして。
そんな自分をこそ、今度こそ放り捨てたいと思ったのだと。思います。

自分なりに頑張ってきたつもりだったけれど、自分のためじゃない頑張りを誰かに望んでもらって自分に還元しようだなんて。
そんなことでしか、まだ私は自分が生きていることを認められないのかと、本当に本当に、改めて自分にがっかりして。

でも、この新型ウイルスの騒ぎで、全世界的に制限をかけられる事態になって、自分も誰かに還元している場合でも、望まれることも、望まれることを望む場合でもなくなって、これは絶対に自分にとっては違う!嫌だ!という場所を放り捨てて。

ようやく、ようやく、「ただの『わたし』」と久しぶりに再会できた気がしました。

子供の頃のまま、虚ろな目をして成長しなくなったわたし。

私は、わたしと一緒に、今度こそ一緒に生きていく。

私とわたしが人生の旅を、ここから始める。遅すぎるかもしれない再出発と、モラトリアム。

どうぞ、よろしくお願いします。わたし。

こちらのnoteを読んでくださった方、人生の旅路のひとときをご一緒していただき、ありがとうございます。

今、生きているこの1秒が、大切なのだと。
それぞれが、それぞれの場所やそれぞれの時に、思えますように。

気が向いたときに、こうしてnoteを書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

kaya

この記事が参加している募集

自己紹介

よろしければ、サポートをお願いいたします。 いただいたサポートは、クリエイターとしての活動費として使わせていただきます。