【小説】ラブ・ダイヤグラム⑧ クレージーキャットとマンハッタン
あらすじ
ダンプの仕事を辞め、
バス会社に入社する事を決意した愛。
送別会ではつい人前で涙してしまったものの、
皆に温かく送り出してもらった。
新しい会社への入社までは、
少しだけ自由な時間があった。
本編
マンハッタン…と言うカクテルをご存じだろうか。
お酒に強い体質らしい私が、
ひと頃浴びる様に飲み歩いたその結果に行きついた、私の一番好きなお酒だ。
ライ麦ウイスキーにベルモット、ビターを加え、
シェイカーでは無くステア…氷の中でかき混ぜて作られるカクテルだ。
カクテルグラスの中に注がれた、赤茶色のお酒の中に大抵金か銀の色したピックが刺さった、真っ赤なチェリーが沈んでいる。
そんなマンハッタンが、バーカウンターの淡い暖色灯に照らされてキラキラと光るときの……
何とも言えないビジュアルの「エロさ」に私はやられてしまう。
このマンハッタン…見た目はどこで頼んでも殆ど変わらないのに、味の方は不思議と飲む店によって微妙に違ったりする。
ベースのウイスキーやビターの種類が微妙に各々違うのが理由らしい。
ただ、だからこそ…かも知れない。
好きな具合の味に出会えると無性に嬉しくて
またマンハッタンが好きになってしまう。
結構強めのカクテルなので、一日精々一杯。
とっておきの一期一会って言うのがまた良いのだ。
そんな、私の好きなマンハッタンを作ってくれるお店が小野原の駅前から少し離れた裏通りにあった。
ハナちゃんと飲み歩いた時に、気紛れに立ち寄ってみた小さなバーで、年齢不詳のスラッとした体つきのマスターが一人で営業している。
その後も飲みたい気分になった時は、チョコチョコ立ち寄るお店になった。
「あら、久しぶりーいらっしゃい。
今日は愛ちゃん一人なんだ」
「うん、一人。元気してた?…今日ガラガラだね」
「平日の夜だものー。こんなもんよ。
…いきなり行く?いつもの奴」
「最初はサッパリしたのにする。ジントニ下さい」
切れ長の目に、サイドを刈り上げたオールバック。
一見エキゾチックで男前なマスターなのだけど、
口調で分かる通り、実はオネエの方だ。
出会って最初の頃は猫被って、クールぶりながら隠していたけど、何度か通っているうちに心を許してくれたらしく、大っぴらにオネエモードで話してくれるようになった。
落ち着いたお店の雰囲気だし
マスターの腕も確かな様で、
来店するお客さんも年齢層が高い。
他のお客さんにナンパみたいな変な絡まれ方をされる心配が無いのも、このお店の良い所だ。
「ハイどうぞー。
今日はあの子は仕事?
ホラ、あのダイナマイトボディの」
「ダイナマイトボディって久々聞いたよ」
「的確じゃない?なんかあの子、
スタイル日本人離れしてんのよ。
あんなダボッとしたBboyみたいな
ダッサいカッコしてちゃ勿体無いわよ。
友人としてさぁ、ちゃんとモテる女の子っぽいの
何か見繕ってあげなさいよね」
「ハナちゃんは、敢えてそう言うカッコしてんの。
そっとしといてあげてください。…頂きます。」
キリッとしたジントニックとマスターの会話が
漸く私の心を少しづつリラックスさせてくれた。
「しばらく……お酒断ちしようかと思ってさ。
仕事決まったから」
「前話してた…バスの会社だっけ?」
「うん、さっき連絡来た。来週から…
多分もう、しばらく修行みたいなモンだからさ、
その前に好きなお酒飲んどこうかなって」
「良かったじゃーん。
良い会社だといいね。おめでとー」
私がこうしてマスターに打ち明けて飲みたくなる程度には、面接では色々と突っ込まれた。
経歴を見れば、ほぼ大型車すら未経験みたいなものの上にまるで畑違いなOLからの転職という事もあって…気紛れにバス会社に応募したオネーチャン位に思われたのかも知れない。
志望動機を聞かれた時、私は自信を持って言った。
「乗ってくれたお客様に、プロだと認めてもらえるバス運転手になりたいです」って。
面接の場で口にするセリフとしては極めて月並みで
長テーブルに居並びそれを聞いた重役の方には「またか」位に思われてしまったかも知れないけど、
私は正真正銘、本心から、真剣にそうなりたいと思って言ったんだ。
そんな風に、会社内だけじゃなく、お客さんにまでそう認められて初めて私は胸を張れる。
自分の仕事に、自分の人生に。
「けどさぁ、あのボインちゃんもそうだけど、
愛ちゃんも仕事仕事の人だねぇ…
女の子がチヤホヤされるのなんてほんの一頃なんだからもっとガツガツ行きなさいよ。
恋バナとかが聞きたいのよ私はー」
「恋バナぁ?あるかそんなもん」
「愛ちゃんならすぐ彼氏見つかりそうなのに、ダメよお。もっと恋に対して積極的でなくちゃさぁ。
ババ臭い下着履いてんじゃ無いでしょうね」
良いヤツ履いてるわ!ナメんなよ!!!…と
心の中で憤慨したけど、それを口に出したら出したでどうせ別の切り口で弄られて、益々憤慨しそうなので黙っておいた。
精々私が上下ラクダ色の、ダッサいのでも付けてんの想像して勝手に小馬鹿にしていると良い。素材から違うわ。
「良いんだって。とりあえず今は。
彼氏とか要らない。
私にはやりたい事がありますから」
「あらあら…しょうもなさそうだけど、
一応聞いてあげようかしら」
「私を、プロだな、カッケーなって言わせてみせる。仕事で」
「誰に?」
「誰にって……そりゃあお客さんだよ。
私の事全然知らない人に、そう思わせてやるんだ。
カッコよく仕事する。全力で、カッコつけて」
真剣にそう思っていた。
チャラけて言ったわけじゃない、断じて。
まだバスの仕事が、実際はどんなモノなのかも分からないけど、知らない人にまで私をプロでカッコイイと思わせたいなら…
本気でプロらしく、かつ、カッコよく振舞わないと
ダメだろうなと思っていた。
マスターはどうせ弄ってくるのだろうから
だったら率直に信念語った方が良い。
その方が反論も出来る。
…と思っていたのに、マスターはしばらく私をジッと見るだけで何も言わず、ふと思い出したみたいに手元で何か作業をしだした。
「何よ、聞いてやるって言っといて無視とか酷いじゃん。何か言ってよ、私の野望に対してさ」
「……違うのよ」
違う…と、よく分からない事を言いつつもマスターの手は止まらず、あれやこれやと用意をしだしていた。
用意されたものを見て、それが私の好きなマンハッタンを作る準備だと気付いた。
「いやね、アタシ今までアンタの事、正直馬鹿にしてたのよ。…何があったかまで知らないけどさ、多分何かしらあって…
ちょっと性格拗らせた女位に思ってたワケ」
恐ろしく手慣れた手つきで、ウイスキーのキャップを指で弾くみたいに開けると、流れる様にメジャーカップ、ミキシンググラスへとそれを注いだ。
プロの所作…無駄の無い、
惚れ惚れする素敵な動きだった。
「少し見直したわ。案外骨のある事しようとしてんだって。確かに……最近少ないよ、カッコつける大人ってのがさ。アタシが小さい時はもっと一杯居たわ。
本当に、自然にカッコイイ人も居れば、
やせ我慢しながら、子供の前では必死にカッコつける人も居た。アタシはどっちもカッコイイなって思ってたわ。」
氷の入ったミキシンググラスにすべての材料を入れると、バースプーンでそれをかき回す。
手元を見るその目は真剣そのもので、話しながらでもグラスや氷にスプーンが当たる音は一切しない。
マスターの細くて長い指が、不思議な動きで静かに、中のお酒をかき回すのに私はただ見入ってしまった。
「なんか、響いたわ。久々に心に。
やっぱ仕入れといて良かったわコレ」
そっとスプーンを回す手を止めると、使っていたウイスキーのボトルをカウンターの上にトン、と置いた。
「ノヴクリークってウイスキーよ。
師匠にさ、マンハッタン作るときはコレを使うのが本物…ってアタシは教わったわ。
愛ちゃんいっつもマンハッタン頼むから、
いつか本物飲ませてやろうと思って、無理して仕入れといたのよ。こんなタッカイの、普段使いでベースになんて使えないわ。」
すると、とてもゆっくりした動き……
まるで自分の宝物を壊さない様に、大事に扱うような手つきでキラキラ光るマンハッタンを、静かに私の前に置いた。
「本物の、マンハッタン」
「そ、本物よ。…正直アンタが本当にカッコ良くなるかどうか、半信半疑だけど、心意気は気に入ったわ。今日から本物で出してあげる。ま…どうぞ。」
そう促され、カクテルグラスを手に取って
チェリーの刺さったピンを押さえながら、特別なマンハッタンに口を付けた。
「…何だこれ、全然香りが違う…」
「ライウイスキー好きで注文する人とかほぼ居ないし、もうこのノヴクリークはアンタ専用ね。名札付けといてやろうかしら」
「マスター、私これ好き」
「それは良かった。嫌いとか抜かしたらボトルでひっ叩いてたわ」
今まで飲んだものとは違った、独特な深み。
本物……本物は、特別さと喜びを人に与えるものなのだろうか。
「マスター」
「なによ」
「私もなれるかな、本物の…なんて言うか…プロに」
「どうかしらね」
「ひどい、そこは「なれる!」って言ってよ。嘘でも良いから」
「そんなこと聞いてるうちは無理じゃない?
成れよ、本物に。
生っちょろい事言ってないでさ」
「なりますよ!!何だよ、ちょっとナーバスになっただけなのにさ。言われなくたって良い仕事してやるわ!」
「いやぁホント、女の子なのに仕事仕事…
一つアタシからアドバイスしてあげる。
仕事と同じくらい、時には真剣に遊んだ方が良い仕事出来るわよ。アンタは適度に、忘れず遊びなさい。入れ込んじゃうと上手く行かないものよ」
「マスターも遊ぶんだ、全力で」
「当たり前でしょ?
じゃなきゃオネエなんてやってないわ。
……本気よ。アタシは遊びに対しても全力。
遊びのプロでもある。
プライベートのアタシは…
シーシー…と呼ばれているわ」
「シー…あ、CCか。お店の名前ってそこからなんだね。前から気になってたんだよね、
CCって何かの略?」
「クレイジーキャット」
「ク……だっさ」
「今ダセーって言いやがったわねこの小娘!!」
「あはは!キャットはともかくクレイジーって!」
「パーティーのアタシを見たら笑えなくなるわよ。
何故アタシがクレイジーを冠しているか、アンタは知る事になるわ。
精々笑ってなさい…いずれ教えてあげるわ。
フルパワーの人生の楽しみ方って奴をね」
「マスターとパーティーとか、
めっちゃ楽しそう!連れてってよ」
「あんたがプロになってからね。
仕事バッチリキメた上で、
本気で遊べるのがカッコイイのよ。
…分かったわ、約束ね。…電話番号教えろ?
…まあ良いけど」
単純にマスターとの夜遊びが面白そうだったのもあるけど、それ以上に…口悪く小馬鹿にしながらではあるものの、彼が私の志を認めてくれて、望むものになれるよう頑張れと思って
くれているのが嬉しくて仕方が無かった。
少し酔っていた事もあって、
半ば無理やり連絡先まで聞き出しておいた。
挨拶や社交辞令なんかで終わらせてやるもんか。
プロになって、絶対マスターの真の姿、クレイジーキャットを見てやる。
「うん、それで私のとこ友達申請して…あ、来た。
…ん?晴信……ってコレ、マスター?」
「そうよ、アタシ、晴信」
「クレイジーキャット晴信ね、了解」
「アンタやっぱアタシの事馬鹿にしてるわね!?
ノヴクリークのボトル代、伝票付けとくわ!」
「してないです!いい名前です!
晴信もクレイジーキャットも!
それだけは嫌だ!!幾らすんのよこんな
見た事ないようなお酒!?」
何だかんだと、深夜まで居座ってあれやこれやと飲んでしまった。
どうもこの店「Bar CC」は、遅い時間からチラホラ他のお客さんが来る店のようだ。
段々店内に客が増え、マスターも少しづつ忙しくなってきたようなので、気遣ってお暇することにした。
一晩中でも飲みたい気分だったけど、まあ…
今度来る時にそれは取っておこう。
楽しかった、気は済んだ。
これからしばらくは戦いだ。
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