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水曜だけはよく眠れるようになった話

正直なところ、寝る前のアレコレが面倒でしかたない。
たった一人前の皿洗いがめんどくさい。
お風呂をいれるのもめんどくさいし(特に前日に張りっぱなしのお湯を抜いて風呂桶を洗うところが)、髪洗ったら乾かすのがめんどくさい。
歯磨きもめんどくさい。年取ると糸ようじとか歯間ブラシとかいろいろ使わなくちゃならないし。
布団敷くのもめんどくさい。

いま、「お前、一回死ぬか?」思ったかたも多いのではないだろうか。子育ても介護もしていなくて超らくちん生活をしている独り者のくせに。そして、このままいったらどれだけ小汚いオババになるのだろう?

言い訳すれば、優雅につまみを作ってワイン飲んで片づけてバスタイムを楽しんで好きな本でも読みながら夜を楽しもうかしら、なんて日もなくはない。めんどくささが増すのは中途半端にストレスがあるときだ。仕事の進み具合に不安があるけれど、深夜まで頑張ったところで片づかないのもわかっている。だったらちゃっちゃと身の回りのことをすませて寝ればいいのだが、そういうときに限って眠れない。早く寝なきゃ、早起きしなきゃ、「~しなきゃ」という頭の働きで体が覚醒して眠れなかったりする。そうならないようあえてダラダラモードに入るものの、どこかに仕事のノルマが片づいていない罪悪感があって完全にリラックスできず、結果「何もかも面倒」になっている気がする。

面倒すぎて寝落ちすることもある。よくあるのは、シーツまで敷いた布団の上にちょっと寝ころんでそのまま、というパターンだ。でも、たいてい30分以内で目が覚めて、最低限の身仕舞いの後(もうお風呂とかも止めて歯を磨くだけとかで)寝直す。そうすると今度はまた眠れなかったり。何をやっているんだろうなあ。

話は変わるが、十年ほど前、樹木医の塚本こなみさんに取材させていただいたとき、「一日一生」という言葉が好きだとうかがった。「朝に命をいただき、一日を生きて、夜には眠りという死に入る。一日という一生を大切にすることで、心身ともに健康でいられるような気がします」というお話であった。以来、この言葉がずっと頭のどこかにあって憧れるものの、自分の一日を一生にたとえると、夜は「まだワシにはやり残したことがある……まだまだ死ねんのじゃワシは……」といいつつ何もしない老害感があるし、朝は布団にしがみついて「生まれたくない……生んでくれって誰がいったんですかあ」と叫んでいる厨二病のようだと思う。
とはいえ、日々植物の声を聞きつつ、十二分に心身を使ってお仕事をされている塚本さんですら、進行中の樹木の治療について布団の中で考え事をしてしまうため、寝付きが悪く、睡眠導入剤を服用していらっしゃるとのことだった。日々、自然な眠りに入れる人は、現代では少数派なのかもしれない。

そんなこんなで、年をとれば寝つきが悪いのはしかたないとあきらめつつあったのだけれど、実は最近、水曜日だけはとてもよく眠れるようになった。9月半ばから12月までの週1回、コンテンポラリーダンスのレッスンと作品づくりのワークショップに参加させていただくようになってからだ。参加条件として「ダンスの基礎ができていること、オープンであること」などとあって、長年、細々と大人のバレエクラスに通っているだけで「基礎ができている」などと逆立ちしてもいえない私はおおいに悩んだ。でも、こんな機会は二度とないと思い、勇気を振り絞って参加してみたら、これがものすごく楽しい。

無理を承知で参加した理由は、「体と言葉をつなげる」という体験をしてみたかったから。ダンサーや振付家など身体表現のプロの方々は、たいてい言葉も素晴らしい。日頃、ライターとして様々なかたのお話をまとめる仕事をしているけれど、自分の中には言葉がなく、空っぽのような気がすることがある。デスクワークに疲れているせいもある。自分の体を使って考える、ということがすごく必要な気がしたのだ。

ワークショップの内容は、本当に「体で考える」ことそのものだった。他のメンバーは、想像どおりバレエの先生だったり、セミプロレベルのダンサーだったりするのだけれど、皆さんとても優しくて雰囲気が和やかだ。

たとえば「光」というテーマについて、参加者一人ひとりが思いついたこと、思い出したことを話す。弟と遊んでいるとき、夕方になるにつれ長くなる影。雑木林の向こうにのぞく満月。怖いバレエ教室の先生に居残りをさせられ、スタジオでみていた夜の灯りの話など。
誰かのエピソードを動きにしてみる。動いてみて感じたことを言葉にする。動きで、相手の気持ちを受け止めたり、渡したりする。
体の可動域もボキャブラリーも少ないので、自分の動きはブツ切れのへたくそな文章のようだと感じる。それに、自分の書いたものを読み直すように、自分の体を客観的に見ることができない。

でも、与えられたイメージに忠実に動こうとすると、感じること、考えること、動くことがひとつにつながる感覚がある。頭と体がしっくりとまとまって、脳の一部で空回りしていた何かが静まり、体の偏りやこわばりがほぐれていく。レッスンとワークショップで計3時間ほど思い切り動いた後は、温泉にでも入った後のような安らかさがあるのだ。

ワークショップのある水曜日の午後までに、なるべく仕事を片づけようとはしているが、きれいに片づいていない日もやはりある。でも、水曜夜はなぜか太っ腹にあきらめがついて早く寝られるし、翌日はまあまあ早く起きられる。実は今月、かなり忙しくなってピンチではあるのだけれど、水曜夜の「太っ腹感覚」を体に覚えさせて、毎晩ぐっすり眠れるようになったらよいなと思う。

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