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海外移住 | いつになったらテンションあがるの

こんにちは、Kayです。

オーストリアに引っ越してきて早3ヶ月。いつになったら「やっぱり来て良かった〜!」とテンションあがるのか待ってるところです。

夫曰く「海外移住が良かったかどうかなんて、死ぬまでわからないでしょ」ということらしいので、結果発表はだいぶ先のよう。

それにしても、低空飛行を続ける自分に辟易しているところです。私は、こんなにネガティブな人間だったのかと。

最近は景気づけに夜ワインを一杯飲むも、余計に疲れてぐったりしながら、なんとか子どもたちとシャワーして眠る毎日。

この疲れは、ヨーロッパの暗い冬のせいなのか。ビタミンDだって毎日摂取しているのに。

先日、職場の他セクションの同僚及びパパママ友にも

「どう?まだ3ヶ月じゃ、オーストリア生活楽しんでるっていうとこまでは…いかないよね?」

と、心配してもらいました。

彼らも5年前にオーストリアに移住してきたイギリス人なので、地理的には近いとはいえ、苦労は分かってくれているというのがちょっと嬉しかったり。

あぁ、とにかく、毎日しんどい。

疲れの原因の1つは、最近起こった、とてもショッキングな出来事なのは間違いないんですが。

郵便局から送っていた船便が宛先不明で10箱日本送り返されました。

いやいや、他の荷物届いてるし、なんで10箱だけ宛先不明で戻されてるんだよ…と、お金と時間を無駄にされた、この憤りと疲労感で、そしてこれからやらなきゃいけないことに対する煩わしさで、ただただ虚無感だけが残ります…

高校生のとき、1年のアメリカ留学すると決めたときも、「全体の8割以上はしんどいから覚悟しておくこと」と言われてたのを思い出しました。

ただ、最近ちょっとテンションあがったこともありました。

それは私とほぼ同時期に入社したハンガリー人の同僚とランチをしたときでした。

私がハンガリーに住んだことがあり、彼女も日本旅行を計画しているという共通点から、ランチをすることになり、てっきり旅行先のオススメなどの話になるかとおもいきや、思いがけず彼女の生い立ちのついて話すことに。

彼女はセルビア生まれのハンガリー人。

ハンガリーは第一次世界大戦までは今のスロバキア、チェコ、セルビア、ルーマニアなどなどの隣国の一部を含んだ現在よりも大きな国土を持っていました。

敗戦後、国土が小さくなり国境が変わったことで、ハンガリー人たちが他国となったエリアに取り残されたり、自ら残ると決めたり。

まさにその子孫が今回知り合った彼女でした。

現在はハンガリーのパスポートも取得済みということですが、高校を卒業するまでは、セルビアで教育を受け、国籍もセルビア。

ただし、生まれ育った地域は彼女のようなハンガリー系の住民が多く住む地域だったので、学校も普段の生活ほぼハンガリー語で行われていたようです。

なので、彼女もハンガリー人としてのアイデンティティを持って生きてきたそう。

そして、大学進学で初めて長期的にハンガリーに住むことを決意。やっと自分のルーツであるハンガリーに「戻れた」ことを嬉しく思い、居場所が見つかることを期待したそうです。

しかしながら、そんな期待は裏切られました。

そう、ハンガリー人からは彼女はセルビア人として認識されていたのです。母国語としてハンガリー語を話していたとしても。

かといって、セルビアにいれば「ハンガリー系」として認識される。

私にはこの感覚を肌で理解することは難しいです。いくら自ら選んで日本を離れたとはいえ、アイデンティティは完全に日本人ですし、国籍も日本、日本に帰国する選択肢だってしっかり残して、ここに来ています。

そして、大学卒業後、彼女の選んだ道は、他のヨーロッパの国での就職でした。ハンガリーでも、セルビアでもない第3の国。実際、同様の背景を持つハンガリー人たちは、別の国に行くことがとても一般的だとか。

ハンガリーに住んでいた時に、国境付近のハンガリー系住民の話はちらっと聞いたことはありましたが、その渦中の人から直接話が聞けるとは。

こんな人の身の上話を聞いてテンションあがる私は、ただのゴシップ好きの失礼な人間かもしれません。

ただ、視野がぶわっと広がる感覚は止められないのです。

ヨーロッパの美しい街並みを見たとき、ウィーンフィルの美しい音楽を聞いたときに上がるかと思っていたテンションのツボは意外と異なるところにあるのかもしれません。


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