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土井啓史の自己紹介④-新社会人と転機

■とにかく出世をすることに集中していた

僕は大学を卒業後、「日本の最先端技術に携わる会社で働きたい」、「営業の現場で数年間経験を積み、その後は人事のプロとして働きたい」という志望理由を受け入れてくれたNECに入社をしました。

わりと温厚な社風で知られている会社ですが、当時の花形と言われている部署に配属されたせいか、先輩は全員体育会系。OJTを担当してくださったWさんにはシゴかれてシゴかれてシゴかれて、1年目のある昼休みに、全く話したことがない同じフロアの方から「大丈夫ですか?」と言われたのを覚えています。もちろん今も昔もWさんには感謝をしています。だいぶ鍛えられました。

平日は毎日終電帰りか、移動時間を惜しんで会社近くのカプセルホテルに泊まるのがあたりまえ。土曜日は翌週の準備をするために出社をする生活を続けていました。誰かに命令されたわけでも、先輩に強制強要をされたわけでもなく、早く一人前になりたい、父のように出世をしたいという一心で、自らが望んで仕事をしていました。その生活が3〜4年続きます。

父は大学卒業後、大手船舶会社に就職をし、順当に役員まで出世をし、定年退職をして、退職金で郊外に別荘を買い、趣味の畑仕事をしながら悠々自適な生活をしていました。

そんな父から、「一生懸命勉強して、いい大学に入り、一流企業に就職しろ」と背中で語られてきたこともあり、僕も父と同じように、「大手に就職して出世をしよう。そうすれば家族に豊かな生活を提供できる」と考えていたのです。

■突然やってきた転機

27歳の時に、当時会社の後輩だった妻(ちなみに円満離婚をしています)と結婚をしました。

仕事に集中する中でも、一定の時間を家庭に割いて、夫婦円満でやって行こうと考えていた矢先、彼女が「起業をして経営者になる。そのために、準備をすることにした」と言い出したのです。入籍してわずか2週間目のことです。

彼女は会社で賞を取るほど優秀でしたが、毎週日曜日の夕方にはサザエさん症候群を発症(日曜夕方に会社を辞めたい発言)していました。理由は「理想とするモデルが社内にいない」というものでした。

彼女は母子家庭で育ったこともあり、夫である僕の経済力には頼りたくなく、仕事のやりがい、育児、オシャレも、美容も全部取りしたかったのですが、女性の社会進出レベルが異様に低い当時の日本にいるはずがありません。20年近く経った今でも、女性の方々の仕事と育児の両立は課題です。

起業などには興味がなかった当時の僕にとっては、はっきり言って寝耳に水だったが、入籍して間もないことあり、会社員の傍、手伝うことを決めました。あくまでも「手伝い」です。真っ向反対をしてスピード離婚はさすがにシャレにならないと思ったからです。

彼女がきっかけを創ったことは間違いないですが、その後、僕が体験したことは、父や学校で教わったこととは明らかに違います。準備を始めてから1年後、手伝いを卒業し、僕は事業家としての道を歩むことを決断をしました。


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