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ノスタルジーの魅力とはなんだろう

こんばんは。文学サークル「ペンシルビバップ」の川和です。最近はほんとうに寒いですよね。ついつい選びがちなのが、仕事終わりのラーメンです。

ラーメンでいちばん好きなのは中華そばなのですが、いわゆる家系の元祖(であってます?)の横濱屋さんがいまの勤務校の割と近くにあり、そこにもよく足を運びます。

これはなぜかというと、僕にとってはほんとうに懐かしい味で、スープをすすると高校生の頃に戻れるからです。母校の近くに横濱屋があったんですよね。

卒業式のあとの、高校生最後のお昼ごはんも横濱屋でした。「学ランのボタン、誰ももらってくれなかったなぁ」とか言いながら、男子だけで食べたラーメンの味はとても美味しかったです。ほんとうに。強がりではなくて。名残り惜しい気持ちで、何時間もいましたねぇ。

文化祭とか体育祭などイベントのときも、よく昼休み抜け出して横濱屋にいっていました。

高校教員になっていま思うのは、昼休みって外出禁止だったのか? という疑問です。違反している意識は全くなかったので、たぶん、時代がおおらかだったので許されてたんじゃないかなぁ(気のせいだったりして)。

いずれにせよ、本来のラーメンの味に加えて、明確にノスタルジーがトッピングされることにより、心に染みる一杯になります。疲れた身体を癒してくれるため、ついつい高カロリーを摂取してしまいます。ダイエットをしていることをすっかり忘れさせる魔力を持ち合わせているのが、このノスタルジーのパワーなのです。たぶん。

ノスタルジーを創作に組み込むことはできないものなのか

これって何度も考えたことがあるし、試みたこともあります。

「ウンパルンパ」先生ってユーチューバーがとても好きで、中高生時代のあるある動画がとっても面白いです。懐かしいし、まさにノスタルジーをうまく感じさせてくれています。あれいいですよね。現役教員の僕は、とっても好きですよ! こんなふうに、ノスタルジーって魅力の一つにできるのかなって気がするんですね。

僕は毎日高校に通勤しているわけですから、日々ノスタルジーの宝庫にいるわけです。これを生かさずにして、何を生かすのか。

でも、ノスタルジーに浸りすぎちゃうとお腹いっぱいになって、気持ち悪くなっちゃいそうな気もしてます。主観的に見るのではなくて、ある種の客観性がないといけないのはなんとなくわかります。

客観性を確保した上で、なにかうまく、日本の大人が通過したであろう青春の部分をうまく表現できたら創作の一つの武器になるだろう、とは思ってます。

でも、それってなんなのかな。心がヒリヒリするやつだとは思うのですけど。

日々の仕事のなかから、見つけなくてはです。

川和真之でした。

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