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持久的、それから瞬発的を早計しない

 持久と瞬発どちらが良いことなのかと問われた時、あなたはどう思うだろうか。何かをコンスタントに続けること、あるいは爆発的な成果を短期間に達成すること。これらの間に特別な優劣はないと言いたくなるはずだ。あるいはそう信じている。
 そして確かに、持久と瞬発の間に差はない。結局はどちらが適しているかの問題で、本質的にどちらが優れているかという話にはならない。そのはずだ。

 しかし、私達は人間である。人間は有限だ。その命はたかだか100年ほどしか続かない。そうすると私達に認識できる「持久性」も、たかだかそのくらいだ。もっと短いかもしれない。つまり、私達はそれくらいの期間の成果しか、結局はあるものだと思えないのである。しかもそれは最長である。
 私達の視野はもっと狭い。長くて10年、普通は1年くらい先のことしか判断できない。これは持久性にとってとても不利だ。それは短期では大したことのない成果しかあげないかもしれない。けれど長期的には、瞬発性よりも大きな成果を蓄積していることだってあるはずなのに。

 ある事象が持久的に良いものだとしても、それが千年、万年、億年かけて5000の成果を上げるのなら、五年で50だけの成果を上げる方がすごいと思ってしまうのが人間だ。
 長い目で見て、持久性がある方がすごいのにもかかわらず、そのように認識してしまう。そもそも「続ける」ということそのものが、すごいことであるはずなのに、私達の目は短期的な成果によって曇らされてしまうことがままある。
 成果、数、量、注目度、順位諸々……短期的な目線で見てしまうことに歯止めをかけるのは難しい。私達が人間である以上、それは必然だ。

 大切なのは、持久性と瞬発性どちらを取るのかという話ではなく、私達人間が、どちらかと言えば瞬発的に物事を判断しているという前提を認識すべきということである。その上で、現在の状況に照らし合わせてどちらが適しているかを判断すること、自分の考えがどちらを重視しているのかはっきりさせることである。
 持久も瞬発も、どちらにも優劣はない。けれど人間が短期的な存在であるから、どうしても私達の判断は瞬発に寄るという話なだけである。
 そのことに無自覚なまま、物事を判断するのはもったいない。様々な物事の本当の価値とは、たった1つの見方だけで決まるものというわけではないのだから。
 それだけで判断することは、あなたにとってもっと大切なものを見逃すことにつながりかねない。

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