達成する気もない建前のために生活は不便になる

 もはや実用性よりも建前の方がお金になるので、人間は「役に立つ」を捨てつつある。というよりも特に実感はしないまま、役に立たないものをどんどんとありがたがる風潮に巻き込まれてしまった。ただ、誰かのお金になるために生活の便利さを取り上げられても、私達は消費者の立場でそれを拒めない。どうしてか、それが当たり前になってきている。どうしてか、その建前を「いやだ」ということが悪になっている。

 お金を求めることのほうがよほど悪どいことがあるという事実は無視され、美しい、正しい、清いイメージのために何かを犠牲にすることを美徳とする。しかもその裏には、結局お金がある。実のところそのような建前は誰も正しいなどとは思っていないのに、つまり本当にそれを達成することを目指されているとは言えないのに、なぜかそのことこそがこの世で正しくなっている。
 本音と建前ですらなく、お金と建前。お金のための建前は、しかも私達の生活を脅かす。実用性はなく、便利さは犠牲になっている。

 その事実は無視され、今日もまた便利さは先細っていく。お金のために。お金を稼ぎたい人々のために、正義は建前と化して。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?