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知識の前に身につけるべくは教養

 知識は覚えていけば蓄積していくものだが、教養は考えねば身につかない。これは大きな違いである。つまり知識と教養の違いは、覚えることと考えることの違いに加えて、蓄積することと身につけることの違いという2段階に分けられるからだ。
 知識と教養は、その進み方だけでなく目的とする終着点も含めて全く異なるものと言える。知識だけを覚えればいいのではなく、教養を身につけることが求められるのは、その「考える」ことに人間としての意義が含まれていることが理由である。
 考えることをやめるのは、人間をやめるのと一緒である。そうしないために、教養は身につける必要が出てくる。

 しかし、現代は知識偏重、様々なことを知ることが求められる知の時代だ。何かを知ることが容易で、そしてそれを披露する場も多い。そのために私達は知識をありがたがる。知っていること、理解していること、それを説明できること。
 でも、教養はそれとは別に考えることを要求する。それは知識とは違い、答えではないかもしれない。むしろ答えのない何かを考え続けること、思い続けること、求めつづけることを、教養は含むのである。
 そのような「すぐに」ではないもの「はっきり」しないものに対して、時代の目は厳しい。誰も彼も、決めたがる。目の前に現したがる。こういうものだと知りたがる。

 でもそれらは知識であって教養ではない。不十分だ。人間としての「考える」ことの意義を、私達は今、少し取りこぼしてしまっている。

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