理キャラに情はうつらない

 理屈のキャラクターは可愛くはない。
 理屈っぽいとかではなくて、理屈で動くキャラクターだ。まるで入力を出力するプログラムのように、「あれをしたらこれ」「こうならこう」と全部理屈で説明できてしまう動きばかりのキャラクター。
 そういうヤツは愛でにくいのだ。それは「理屈っぽい」とか「理系」とか「理論派」とか、そういう意味のキャラではない。理屈で動くロボットだ。むしろどんな属性を持つキャラクターにだって理屈の部分は存在する。それだけになってしまうのが問題なのである。

 なぜならキャラクターとは作られた存在で、どれだけ多種多様、千差万別、奇々怪々であっても人格を持った生き物なことは変わらない。そのベースの動きはコントロールされている。作者に。神に。あるいはなんらかの都合によって。
 重要なのは、それがそのキャラクター自身の意志では無いということだ。操り人形。そう言っても過言ではない。人形は可愛らしいこともあるが、残念ながら、操り人形のキャラクターはそうではない。

 何か起こっている様々な問題が、外から見れば驚くほどシンプルで簡単なように見えるのと同じで、キャラクターというのは第三者に動かされてしまうと途端に単純で薄っぺらく、つまらないものになってしまうのである。
 この場合の第三者とはまさに作者である。そして大抵の場合、作者がキャラクターを「動かす」時には理屈を武器にする。外側から見ているのだから当然だ。どんなにそのキャラクターが作中で大変な目にあっていようと神は冷静である。そしてその冷静さゆえに、作者はキャラクターをつまらぬ操り人形にしてしまう。

 そんな人形は愛でられない。情などうつるはずもなく、可愛げだって感じられないはずだ。キャラクター。そういう存在はいつも、微妙な立場にいるのである。そうやって理屈に染まらず、しかしキャラクターとしての秩序は守り、好かれる属性を持ち、感情を破綻させず、あげく全力で問題に取り組む姿を見せねばならない。
 理屈のキャラに情は抱けない。理屈っぽいという意味ではなく理屈だけで操られるキャラが。なぜならそれは、ひどく単純でつまらないキャラだからだ。

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