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脚色するとは、演出ではない

 脚色とはストーリーを演出し、より魅力的なものにすることを言うが、一方でそれは純粋な演出ではない。つまり元々あるストーリーの良い部分を強化するという「強調」のみならず、陰に隠れている魅力を表に出す「改編」という手段を、脚色は持っているからである。
 だが演出は、ストーリーへのそこまでの介入は行わない。それは出来上がったストーリーの見せ方をどうするかという「加工」の工程であり、もしその域を超えて「改編」にまで踏み込むのなら、それは脚色である。

 それゆえに脚色は、扱うストーリーの持つ力を大きく向上させられる一方で、そのストーリーにかかわりすぎ、一体化して共倒れになる危険性もはらんでいる。そういう意味では、ストーリーとはその原作を作り上げる課程において、そもそも脚色というプロセスを持っているとも言える。
 むしろ脚色を経てこそ、ストーリーは一旦完成し、そこから先のプロセスへと渡っていく。

 つまりストーリーの原作を考えた人がまた、それを脚色することも当然にある。ここの作業は分かれているものではない。

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