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連帯感と効率性、どちらも求めることを

 基本的には、連帯感を求めようとすると効率性は落ちる。ただし、連帯感を求め、それが高まった先には効率性は充分にある。しかし一般的には、連帯を求めていく過程において、必ずしも効率性は上がらないというのが当然のこととして私達の前に立ち塞がる。
 なぜなら、連帯感とは「無駄を共有する」ことを1つの原動力としているからである。そのための行いは、だから確実に、無駄を省こうとする効率性とは反対の作用を持っている。
 けれど、私達には連帯感と効率性のどちらもが必要になのだ。そのようになってしまった。なぜならこの、目まぐるしい世の中を生き抜くために、効率性はどんどんと重く大切に、必須なものになっているからである。そして、それを求めようとする精神もまた、なくてはならないものだからだ。

 連帯感。誰かとともに無駄を共有するという、1つの「停滞」は、人間的になくてはならないものである。効率性。要不要を切り分け無駄を省くという1つの「進捗」は、生きていくためになくてはならないものである。
 そのような2つの間に挟まれて、それらがますます、どちらも大切になっていくと感じられる中で、私達は私達自身の良さというものを見失いつつある。どっちつかずで、しかしどちらも求めたくて。あるいは、効率的なことを追求して連帯感を忘れ、かえって良くない結果を呼び込んだり。反対に、この時代にいつまで立っても連帯感ばかりを重視して、効率性を無視してしまったり。

 重要なのは、「どちらも必要」という結論である。時と場合ではない。連帯感と効率性は、いつでもどこでも、一緒に持っていなければならないものである。なぜなら人間は、連帯感とともに生まれ、効率性によって生きていく存在だからだ。どちらも、人間としてその存在の根幹をなすものだ。ならばそのどちらかだけを選ぶということは、死に等しい。選んではならない。連帯も効率も、2つとも求めることが、求められている。
 そうでなければ、その手に入れた1つだけでは、私達の生は虚しく、無駄に、熱量なく、終わっていく。

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