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クロン=ルーマ貿易戦線

クロン=ルーマ …交易会社代表。壮年の人間男性。
オビル=イムエル …交易会社新入り。精悍な青年であり操船技術を持つ。
オーリン=セン  …魔導軍兵団副団長。無口で大柄な中年男性。

 エタムスナート皇国は、広大な国土に何千万もの臣民を抱える、ムスナート大陸で最も歴史ある国だった。大陸の中心故に交易が盛んであり、同時に、他の国を圧倒する経済力および軍事力を持っている。
 中でも、その豊富な予算によって育成・編成された「魔導軍兵団」は強力無比である。大陸中から選抜された優秀な魔導師を中心に構成され、専守防衛の精神は崩さないものの、ひとたび自国に危害が加えられれば、相手がどれだけ矮小だとしても全力で叩き潰す。そのように、大陸の誰もが恐れているくらいだった。
 また、この軍兵団は自国の領土ばかりでなく、必要とあれば交易相手の国、その他希望者の要望に応じた派遣も行われている。その対価はまちまちだが、関係性によっては無償に近いとあって、最早、大陸で軍兵団の目が届かないところはないといっても過言ではない。

 そんな皇国の首都であるユータリィの城下町に、10輛からなる馬車の列が向かってきていた。北方の大ヘトロン国からの輸入品を携え、グリンバレン平原をひたすら南下してきたのだ。
 4頭立ての大型馬車が10輛、豊作である野菜類を中心に、大ヘトロンの伝統工芸品を満載している。その代わりに得たのは、皇国に比べればまだ歴史の浅い大ヘトロン国の国庫の5分の1にもなる貴金属・宝石・金銭であった。
 両国は大小様々な交易を行っているが、このような大規模な交易は年に1度しか無い。だから毎年、この時期には多量の金銭が取引されることになるのだが……それにしても、この額は破格だと、交易会社代表のクロン=ルーマは思っていた。
 へトロン国王直々にこの仕事を請け負ったのは、まだ、国が国として自立する前からだった。皇国が古くから交易で財を成し、力をつけてきたように、自分たちも他国とのやり取りの中で国を育てていくのだと語った。そんな若き王の志に感動し、50の歳を既に重ねていたクロンだったが、ぜひにと志願したのだ。
 クロンは地平線まで続くグリンバレンの緑を横目に見ながら、この10輛の馬車が運んでいるのは、けして国の特産品だけではない、と手綱を握る手に力が入るのを感じた。

 ふと、クロンの耳に馬の鳴き声が聞こえた。彼は先頭の馬車を引いているが、鳴き声はかなり後方からだ。クロンは念のため、通話魔術を最後尾の御者に送った。クロンには魔導の心得はなく、日常魔術ですら扱えないが、代わりに国から魔導具をいくつか預かっていた。通信や荷運び、計算、状態回復など、仕事に役立つものばかりであり、とても重宝している。貿易商は大陸の様々な場所に赴き、貴重な荷物を携えることも当たり前にあるために、時には戦闘も行うことがある危険な職業だった。
 「――オビルです、どうぞ!」
 「クロンだ。不自然な馬のいななきを聞いたが、異状ないか?」
 雑音に交じって、最後尾の御者の声がする。オビル=イムエルは最近、この貿易会社に入ったばかりの青年で、元は海沿いの街の出身者だった。船舶を操る技術があり、本来は海での交易に携わる予定だったが、この仕事の基礎をまずは知るべきだということで、今回の車列に加わったというわけである。
 クロンはオビルの緊張した、初々しい声に応え、簡潔な回答を求めた。
 「――異常ありません。目視できるのは5輛目までです、どうぞ」
 「報告感謝する。引き続き注意を払ってくれ。何かあった場合にはオーリンに通話を」
 「承知いたしました、失礼します!」
 クロンは魔導具をしまった。オビルの誠実な声に、思わず微笑ましい気持ちになる。だが、気持ちを緩めている暇はなかった。4頭の馬の速度を上げる。
 先ほどクロンが言ったオーリンというのは真ん中の馬車に乗っている用心棒で、魔導軍兵団の隊長、オーリン=センである。大柄で無口な男だが腕は確かで、大ヘトロン国、ひいてはクロンよりは20ほど若いが、古くからの付き合いのある親友だった。
 今回の交易は両国にとっても非常に重要なものであることから、万が一のために同乗してもらっているのだった。住む国は違えど、その友情に変わりがないことをクロンは頼もしく思っていた。
 しかし、それでもクロンは油断ならないと感じていた。
 「まだ、皇国には着かないか……」
 拭い去れない不安を抱えながら、さらに馬を早駆けさせる。グリンバレン平原はその見通しの良さと、皇国の膝元であるという点から、元来、平和な地域であった。しかしここ数年、エタムスナート皇国の軍兵団の派遣数が多くなるにつれ、中心地の警備が手薄になっているのでは、との噂がまことしやかに流れていた。
 皇国と縁の深いクロンにしてみれば、そのような話眉唾物もいいところだが、これを好機と見た各国の”非公式”の視察団や、ムスナート大陸西部の「死地」アビルから、封じられたはずの魔族がそこここに姿を現しているとすらいうのである。
 特に魔族の目撃証言はこの1年で倍増しており、クロンの貿易会社でも、数件の、人ならざる者による被害が報告されている。だが、どれも証拠がなく、具体的な対策などは取られていない。
 「証言が事実だったとしても、まだ辺境だけのはず……」
 改めて、平原を大きく見回す。いつもより高速で過ぎ去っていくグリンバレンの緑に変わりはない……だが、そう思った矢先、クロンは地平線の稜線に黒い影を見た気がした。それと同時に、馬車や馬の走る音に交じって、遠くのほうから馬のいななきも聞こえてくる。
 「……オーリン、聞こえるか」
 「ああ……嫌な空気だ。これは”死に者”だぞ」
 「……!! き、距離は」
 「わからん。だが数は多い。応援を呼ぶ」
 「な……そこまでなのか?」
 「念のためだ。この10輌は死んでも守れと皇子から命も受けている」
 通話は一方的に切れた。クロンは落ち着きなく目線をあちこち動かした。数が多い……それは、先ほど見た黒い影が見間違いでなかったということ以上に、クロンの気づかない外敵が、既に忍び寄っていることを意味している。
 「”死に者”か……懐かしい響きだな」
 まだ、大陸が戦国時代だった頃、突如として現れた魔物の集団に、人間達はなすすべなく駆逐された。ほどなくして、大陸は魔物の楽園となり、わずかに残った人間の生き残りは、大陸を離れ、放浪生活を余儀なくされたのだという。
 それは、クロンも生まれる前、太古のおとぎ話だ。その後、人間達は”神生”と呼ばれる超越者によって魔導を授かり、その力をもって魔物達から大陸を奪い返したのだそうだ。それらは「死地」アビルに追いやられ、長い年月をかけて力を失い、”死に者”になったと、締めくくられる。つまり”死に者”とは、追いやられ、封印された魔物たちのことを指す。
 「なぜだ……あの時、全ての遺恨を消し去ったはずなのに――」
 クロンは再び、グリンバレンの平原、その稜線に目を凝らす。だが、老いたその眼にはもはや何も映らなかった。馬が速度を緩めたのを感じ前を見れば、目的のユータリィの城下町の城門が見えた。
 「もう少しだ、頼む……」
 本当に”死に者”なのだとしたら、もはやクロンに出来ることはない。彼がかつて、アビルの調査団として腕を奮ったのは、最早過去の事なのだから。クロンはあの頃のことを思い返す。……確かに”死に者”は封印されていた。しかし、彼が見たものはそれだけではなかった。
 ぐんぐんと近づいていく城門を前に、クロンは仕事に集中することにした。とにかく、この荷物を届けなければ。これはエタムスナート皇国と、大ヘトロン国を結ぶ、重要な最初の1歩となるのだから。
 クロンは後続のオーリンがまだ動き出さないことに安堵しつつ、城門前で馬車をとめた。
 「身分証、それから許可証も」
 憲兵の言葉に頷き、クロンは証書を取り出した。

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