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物語は語られないからこそ完成する

 物語とは何かを語ることである。ストーリーとは出来事の連続である。小説、映画、漫画などたくさんの物語を伴う娯楽は、そうやって「語られること」を楽しむものだ。
 しかしそれらは反対に、「語られないこと」によっても、その楽しさを成立させている娯楽でもある。

 なぜなら、私たちが物語やストーリーを楽しむ時、けして「全て」を見ているわけではないからだ。私たちは、娯楽の一部しか見ることができないにもかかわらず、だからこそ、むしろその状態を「完成品」だと受け止めている。
 完全なるものは娯楽として不完全なのだ。一から十まで全てがわかっていることは、けして面白さには繋がらない。あそこがわからない、ここが足りない、どこかに足りない最後のピースが隠されている……そういうのが楽しいのであり、それこそが娯楽なのだ。

 そして物語やストーリーにとっての足りないものとは、語られることのない一部分であり、中身であり、制作者しか知らない設定であり、捨て去ったアイデアであり、あるいは、作品に込められた想いでたる。
 それがあるからこそ、しかし、語られないからこそ、物語やストーリーとは面白いのだと言える。その足りないものを見るために、私たちはそれを見ようとする。足りないことを確認する。
 語られないことを、聞こうとする。いつまでも、いつまでも。

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