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真面目な物語にはコメディを。不真面目な物語にはシリアスを

 不真面目な物語ほど、真面目なことを伝えるのに適している。つまり不真面目なコメディは、真面目なシリアスを提供するのにぴったりなのだ。なぜなら作られた「物語」だからこそ、それはシリアスで切実な想いを、フリにしてオチをつけることでコメディ化できるからである。

 笑いとはシリアスの前フリとして機能する。そして物語とはストーリーが始まり、盛り上がり、オチがつくのが基本となる。それは、話の流れを人工的に作ることで想いを伝えやすくする仕組みなのだ。だから1つのやり方として、シリアスな想いをコメディというきっかけから始めるのは理にかなっている。
 笑いっぱなしは面白くないし、真面目すぎるのもつまらない。だから2つを組み合わせて、フリを作るのである。コメディがシリアスの、そしてシリアスがコメディのフリとなる。静と動。そういうことの繰り返しで、物語は目が離せないものとなる。

 不真面目な物語ほど、前フリとして真面目なことを伝えるのに役立つ。その逆もまたそうである。コメディとシリアスは互いに補完しあい、フリとオチという関係で助け合う。

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