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ステラの事件簿②《電子証明書、偽りと成る・弐》

「大人気なさ」という言葉がある。いい年をして、それに不釣り合いな言動をすることだ。
 でも、大人気なさは大人に対してだけの言葉じゃない。子供だって大人げない時がある。それは裏を返せば、子供だって、大人にならなきゃならない時があるということだ。

 欧林功学園に通う男子学生の体操着が、1人の若き女教師によって盗まれた。しかしその教師は学生達に慕われる人気者で、同僚からの評価も高く、人柄もよい――
 学園に通う1人の男子学生、星(ステラ)は、改めてこの事件に関して、カフェテリアで推理を試みていた。昼休み、友達のいない彼は独りで食事をとりながら、周囲の学生たちの様子をそれとなく観察する。星のように独りで来ている者もちらほらいるが、ほとんどはグループもしくは2人組だった。彼ら、もしくは彼女達は、流行りの音楽やゲームの話、行ってきた旅行の話、少しだけ午後の授業の話など、実に学生らしい会話を繰り広げている。だれも、人気教師の宝城愛未が、体操着を盗んだ犯人だ、などと知っている者はいないようだった。
「……まあ、実際やってないもんな……」 
 星は呟く。この事件は少し複雑だ。まず、体操着を盗んだ犯人は見つかっていないし、そのせいで学園はセキュリティ強化を余儀なくされた。警察も目下捜索中だろう。しかし、星は体操着が今どこにあるのかを知っていた。それは、愛未先生の自宅だ。ある日、学校の帰り道にやたら大きなスポーツバッグを見つけた星は、その中身が盗まれた体操着であることと、バッグが愛未先生の私物であったことを知った。
 加えて、愛未先生は何者かに、脅迫文のような手紙と共に「自分がロッカー室から体操着を盗む映像」を送り付けられている。これは星も見せてもらったが、正直、疑う余地がないくらい本人が映っている映像だ。けれど、愛未先生は絶対にやっていないと言う。それに星も、先生にお世話になっている身としては、やはり信じたい。そういうわけで、誰が、どういうわけで愛未を犯人に仕立て上げようとしているのか、それを明らかにしようと動いているのだった。
「星くん、ごめん……カウンセリング室のことで、ちょっと話し込んじゃって」
 カフェテリアに息せき切って現れたのは、星と約束をしていた愛未先生その人だった。
「映像研究会に話を聞きに行くんだよね?」
「はい、昼休みにも活動しているそうなので、早いほうがいいかと思って」
「なるほど……あ、ごめん、1杯だけお水」
 愛未先生は席を離れた。すると、立ち話をしていた女学生達のグループに捕まり、あれこれと相談を受けている。星はその様子を見ながら、まだ先生に疑いの目を向ける者はいないのだろう、と再確認した。
 映像を送って来た者の動きはまだない。
 だからできるだけ先手で動く必要があると星は考えていた。もちろん、動くことで余計な影響を及ぼしてしまう、藪蛇、ということもあるが、とにかく今は情報が欲しい。愛未先生は、通りすがる他の学生にも話しかけられていた。人の輪がどんどん広がっている。このままでは、ちょっと座ってご飯でもしながら……などという流れになりかねないほどだ。
「相変わらずだな……」
 星は思わずため息をついた。しかし、あの状況が、愛未先生の境遇や、人柄を表しているのも事実である。あそこまで学生に慕われている教師は、欧林功学園に他にはいない。この学園は随一の進学校で私立ということもあって、教師が皆、変に真面目なのだ。とっつきにくいとも言う。だから、愛未先生のように気楽に話しやすい存在は、皆にとって貴重だったのだ。そんな教師が今、誰かに体操着窃盗の罪を被せられそうになっている――証拠としては、彼女は完全に黒だが――のは、星にとって全く理解できないことだった。
「だからあの映像について調べておきたいんだけど……」
 カフェテリアでの作戦会議は失敗だった。やるなら、もっとひとけのないところか、時間帯を放課後にすべきだったのだ。人気教師をこんな学生の多いところに連れて来たらどうなるかなんて明白だったのに。
 星は、交換していた愛未先生の連絡先に「先に調べを進めておきます」とだけ送り、1人で映像研究会へ向かうことにした。部室棟の3階にあり、昼休みの残り時間を考えると、40分くらいしか聞き取りはできなさそうだった。
 カフェテリアを出てすぐの階段を上がっていくと、背中に聞こえる喧騒がどんどん遠ざかっていく。3階に反響する声はほとんどなく、まるで立ち入り禁止にでもなっているかのように、この階には誰もいなかった。星は廊下を進み、映像研究会の扉をノックした。

「ディープフェイク……まあ、聞いたことくらいはあるけどさ」
 その男子生徒は、長めの前髪を時折かきわけ、目の前の星を、幽霊かなにかのように訝し気に見ている。彼の名は向田海といい、映像研究会の部長である。星は、海の弟の国彦のことをよく知っており、そのためにまずは映像研究会にあたろうと思ったのである。海は、アマチュア部門での作品賞などを取ったこともある男で、四六時中この部屋でカメラをいじっていると言われるくらい、映像に入れ込んでいる人間だった。
「作れますか?」
「無理。あれはAIの分野でしょ」
少し埃っぽく、薄暗い部屋。星が口を開くたびに、その湿気た空気のにおいが鼻をかすめる。得られた情報も、同じようにしけたものだった。尋ねた星を、海は当然のように歓迎せず、自分の作業があることを時々アピールし、話を早く切り上げたそうだった。その癖、映像関係の話になると饒舌で、演出技法や、次に扱おうと思っている被写体、それこそ愛未先生の話などは喋りっぱなしだった。
 おかげで本題のディープフェイクの話ができたのは、昼休みが終わる10分前になっていた。それも結論は「できない」「知らない」「他をあたってくれ」程度のもので、星は次に進められるような情報を何も得られていなかった。
「とにかく俺は専門じゃないから。編集作業が残ってるし、もう帰ってもらっていいか」
 とうとう言われてしまったその言葉に、星は頷くしかない。部室にならぶ本棚に、それらしいものがないかと探すものの、当たり前のように写真集とか技術書とか、ディープフェイクとは関係のないものばかりだ。
「すみせん、お邪魔しました……」
 星はパイプ椅子から立ち上がると、部室の扉を開けようと手をかけた。まだ何か聞き足りないことがあるような気がして海の様子をうかがうも、彼はもう既に編集用のPCの光に、その不健康そうな顔を照らされていた。星は今度こそ諦めて部室の扉を開き――
「――え?」
 それは勝手に開いた。つんのめるようにして廊下に出ると、柔らかい何かに受け止められる。顔を上げ、ここ数日で随分見慣れた顔と目が合う。
「ご、ごめんね星くん! ケガない?」
「僕は別に……」
 愛未先生の息は荒かった。肩で呼吸をし、どうやらここまで走ってきたようだ。彼女はちらりと時間を確認する。昼休みの終わりまで、あと5分だ。
「あちゃー、時間切れだね」
「大丈夫です、もう終わりましたから」
「本当!? 何か聞けた?」
「ダメでした。先生、放課後は空いてませんよね」
「ええと……」
 目を泳がせる愛未先生。星は、当然そうだろう、と思った。普通の教師でも忙しいのに、彼女が暇なわけはない。
「おいお前達……! あ、宝条先生?」
 その時、廊下の向こうから男性教師が歩いてきた。見回りだろう。星は、その教師の対応を愛未先生に任せると、急いで自分の教室へと戻った。
 この日は何事もなく、星は家路についていた。だが、玄関先で靴を脱いで、母親に怒られるからとそろえているとき、愛未先生から連絡があった。
「今から星くんの家いけるかな?」
「どうかしましたか」
「新しい映像が、届いたみたい」
 しかし、星の家族は30分後には帰ってき始める予定だった。しかたなく、星は、今日はもう帰宅すると言う愛未先生の自宅へ向かうことになった。親には、友達の家で勉強してくると連絡をした。

※つづく

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