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物語のための、物語そのものの成長

 物語には成長がなければならない。そしてそれは登場人物の成長だけでは不充分である。

 そもそも、物語は登場人物の成長を扱うものであるという定義がある。成長がなければ面白くないからだ。そしてこれによって物語と成長は密接な関係を持つが、実際には物語がかかわる成長という概念は登場人物のそれだけにとどまらない。物語に不可欠な成長というものは、半分は登場人物の意識や行動の改善となる。そしてもう半分は物語そのものが、繰り返しを起こさないというところにある。

 物語は同じことをしてはならない。それは構造的に、そして内容的に、そして表現的にである。構造とはどの順番で何が起こるかということ、内容とはどのようなことが起こっているかということ、そして表現とはそれらがどういう描かれ方をし、どう見られるかということだ。
 これらの観点について、ひと続きの物語は成長しなければならない。そうしなければ、その物語は同じことをぐるぐると巡り、終わりに向かうことが難しくなる。1度気を緩めて物語がそうなってしまうと、それはどんどんと続くことに甘える。つまり終わりから遠く遠くなってしまう。

 それではダメだ。なぜなら物語は終わるものだからだ。成長をし、様々な顔を見せ、見る者を楽しませ、オチがつかねばならない。だからそのために、成長が不可欠なのである。
 淡々とした繰り返しの中には物語は見いだせない。それはおおまかには「改善」を続けていくことで、物語として終焉へ向かっていくのだ。それは物語りとしての定義となる。だからたとえ、その物語を永遠に続けたくとも(そんなことはできないし、する意味もないのだが)、それは成長を放棄する理由にならない。

 物語が物語であるために、それそのものの成長は欠かせない。

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