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(エンタメ的な)期待感への期待

エンタメと呼ばれるものに最も必要なのは「期待感」である。
それは、エンタメを構成する全て、運営する全て、楽しむ全ての人や物たちにとって、不可欠な感情である。

期待感を煽るのは良いことだ。
私たちは期待感によって前に進むことができる。何かを成し遂げることができる、やる気が出る。

だから、エンタメを構成するあらゆる施策であったり、テーマであったり、世界観であったり、登場人物、雰囲気、始まり方から終わり方などといった構成物には、全て期待感が込められていなければならない。
なぜならそうであるから、それらはエンタメのために楽しいものになれるからだ。

また、エンタメを運営する人々にも、当然期待感がなければならない。それは、そのエンタメが成功するということ、楽しいものになるということ、今まさに辛くなくて手を動かし続けられるということ……そういった予感への期待である。
いわばモチベーションだ。それが途切れたとき、運営は少しずつ後ろ向きになり、同時にまた、エンタメそのものの期待感も薄れていく。

そして、エンタメとは誰かを楽しませるものであるから、その人々の期待感はなにより大切だ。
これはエンタメを運営する者も、エンタメを構成する物も、当たり前に目指す期待感である。
だが時として、この期待感を提供することを忘れてしまう。
そうなっては、いくらそのエンタメが期待を謳おうとも、期待とともに提供しようとも、無駄に終わる。

エンタメにとって期待感はなにより大事だが、それは構成する全て、運営する全て、受け取る全てにとって等しく大切である。
だから、これらのうち、どれか1つでも疎かにしてはいけないし、優先順位などない。

エンタメが楽しいものなのは、この3つの期待感がどれもきちんと感じられるからに他ならない。


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