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短編小説

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#家族

誰かと離れるという、いっそ簡単な手続き

 何かを信じないのなら、いっそ疑うほうがいい。何かを信じないままでは、それは何もしないのと同じだからだ。何もしないよりは、する方がいい。だから、何かを疑うのだ。そのほうが生きていくにはずっとマシだ。  「これで終わりね」とありきたりなセリフを奈美が呟いたのは午前8時。初夏の頃、家から市役所までの10分の道のりに少し汗ばむようになってきた、そんな時だった。大木雄大は、向かいに座るその女性の言葉に無言で頷いた。そのまま、机の上の薄っぺらい紙に目を落とす。それを貰ってきたときは、

祖父の葬儀は、柔らかな絨毯を敷かれて。

 集まることが幸福に思えるのは、多分、そうすることで一緒にいる人々の暖かさを感じられるからだ。たとえそれがかなわなくとも、そうおもえるからこそ、人は集まるのだし、集めようとするのだ。  その「会」が終わった後も、皆は名残惜し気にその場に集まって、まるで、互いに繋がった緊張の糸を、それぞれが引っ張り合っているかのように、忙しなく、しかし静かに様子をうかがっていた。  それは死者を弔う会だった。死体を箱に横たえ、さらし者のように顔だけが見えるようにし、直接関わりのない者も含めて

寒空の下の散歩。傍らの愛犬の存在

 人は共同体を作る。それは本能だ。人がいつ生まれ、そしていつ滅ぶのかはわからないが、ただ1つはっきりしていることは、私たちの生と死の間には必ず他人とのかかわりがあるということである。  弟の水樹が失踪したことを深刻に受け止めているのは、家族の中では俺と、犬のワンド――大型で真っ白の、温和なオスだ――だけのようだった。呆然と玄関先で立ち尽くす俺の隣に、ワンドが寄り添うように座っている。  土曜日の朝はいい天気で、冬も近く肌寒いものの、紛れもなく洗濯日和、そんな日だった。日差し

災害は遠くにある

 ”災害”は、自分の今いる場所や時間から遠いものだった。それは地域と世代を壁にして、あくまでも、自分の向こう側の存在だった。  そのことは、今でも当然だと思っている。そう思わなければいけないと感じている。災害で何もかもを失くし、自分というものが丸裸になったあの時から。 「だから憶えてないって言ってるじゃん」  娘のくるみがスマホの画面から目を離さずに言った。知らない曲が、彼女の手の中からくぐもった音を立て、流れる。その曲は流行らしい。くるみがスマホを取り出すたび、その曲がB

シロナガスクジラと息子とフライト

 どうしようもない問題というものがある。どうやっても良くならない。目の前にすると絶望に膝をついてしまうようなもの。それは何故どうしようもないのかと言えば、その内容がどうこうというよりも、「どうしようもない」という事実そのものが、私たちの行動をがんじがらめにしてしまうからだ。  飛行機の上で「シロナガスクジラだ」と息子がはしゃいだ。窓の外に晴天が広がる。私は息子の指差す海を見て、見えなかったが、すごいねと笑ってみせた。  膝の上に座る息子の体温は、そのはしゃぎ具合に合わせて高

才能があっていいねという言葉を、あなたは理解できるのか

 少し思うのは、やはり才能なのだということ。  世間では「最後は努力がもっていく」とか「努力はしたほうがいい」とかいう中で。それでも、最後に物事を決めるのは才能だということ。   まただ。  私は夜中に目が覚めた。目の前にぼんやりと見慣れた天井が広がる。その向こうからゴソゴソと、できるだけ音を立てまいとしつつ、誰かが動き回っているのがわかる。  隣の夫は熟睡しているようだった。私は起こさぬようにベッドから抜け出ると、今日こそは、あの音の主に注意をしようと廊下へ出た。  私達