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短編小説

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2021年3月の記事一覧

ステラの事件簿⑦《電子証明書、偽りと成る・漆》

●登場人物  ・宝城愛未(まなみ)…欧林功学園の人気教師。ある冤罪を着せられる。  ・島原太東(たいとう)…学園OBで、学園システムのエンジニア。  ・大林星(すてら)…学園中等部2年の本作主人公。事件の解明に奔走。  ・中沢慶次(けいじ)…学園用務員。不審な女生徒について星に話す。  ・向田海(かい)…学園高等部2年で映像研究会会長。星の友人の兄。 ●前回までのあらすじ  地域では有名な中高一貫校、欧林功学園で男子生徒の体操着が盗まれる事件が起きてから1か月。星(すてら)

秋の別れと、しいちゃん。

 しいちゃんは文句ばかり言う子だった。当時、小学生だった私たちクラスの中でもそれは本当に有名なことで、担任の松井先生すら、朝の会や帰りの会でしいちゃんが後ろの方の席でにこりともしないで、何か言いたげに黒板の方を見据えているのを気にして、いつも会の終わりに決まって、「何か質問ある人?」と遠回しな確認をしいちゃんにして、それがないとあからさまにほっとしたような顔をして、いつもより1.5倍くらい大きな声で、解放されたように、「おはようございます」や「さようなら」の号令をかけるのが、

誰かと離れるという、いっそ簡単な手続き

 何かを信じないのなら、いっそ疑うほうがいい。何かを信じないままでは、それは何もしないのと同じだからだ。何もしないよりは、する方がいい。だから、何かを疑うのだ。そのほうが生きていくにはずっとマシだ。  「これで終わりね」とありきたりなセリフを奈美が呟いたのは午前8時。初夏の頃、家から市役所までの10分の道のりに少し汗ばむようになってきた、そんな時だった。大木雄大は、向かいに座るその女性の言葉に無言で頷いた。そのまま、机の上の薄っぺらい紙に目を落とす。それを貰ってきたときは、

祖父の葬儀は、柔らかな絨毯を敷かれて。

 集まることが幸福に思えるのは、多分、そうすることで一緒にいる人々の暖かさを感じられるからだ。たとえそれがかなわなくとも、そうおもえるからこそ、人は集まるのだし、集めようとするのだ。  その「会」が終わった後も、皆は名残惜し気にその場に集まって、まるで、互いに繋がった緊張の糸を、それぞれが引っ張り合っているかのように、忙しなく、しかし静かに様子をうかがっていた。  それは死者を弔う会だった。死体を箱に横たえ、さらし者のように顔だけが見えるようにし、直接関わりのない者も含めて

ステラの事件簿⑥《電子証明書、偽りと成る・陸》

●登場人物  ・宝城愛未(まなみ)…欧林功学園の人気教師。ある冤罪を着せられる。  ・島原太東(たいとう)…学園OBで、学園システムのエンジニア。  ・大林星(すてら)…学園中等部2年の本作主人公。事件の解明に奔走。  ・中沢慶次(けいじ)…学園用務員。不審な女生徒について星に話す。  ・向田海(かい)…学園高等部2年で映像研究会会長。星の友人の兄。 ●前回までのあらすじ  地域では有名な中高一貫校、欧林功学園で男子生徒の体操着が盗まれる事件が起きてから1か月。星(すてら)

寒空の下の散歩。傍らの愛犬の存在

 人は共同体を作る。それは本能だ。人がいつ生まれ、そしていつ滅ぶのかはわからないが、ただ1つはっきりしていることは、私たちの生と死の間には必ず他人とのかかわりがあるということである。  弟の水樹が失踪したことを深刻に受け止めているのは、家族の中では俺と、犬のワンド――大型で真っ白の、温和なオスだ――だけのようだった。呆然と玄関先で立ち尽くす俺の隣に、ワンドが寄り添うように座っている。  土曜日の朝はいい天気で、冬も近く肌寒いものの、紛れもなく洗濯日和、そんな日だった。日差し

非・世界への誘い:消失者、大越美墨②

 戦いとは、生存戦略だ。それは生き残るための手段であり、誰にでも平等に与えられた権利であり、大したコストもかからない、使って当たり前の道具だ。  にもかかわらず、それを放棄する人間がいた。そいつはそうすることが正しいと信じて”戦うこと”を捨てたのだ。けれど結果はひどいものだった。そいつはもう二度と戦えない身体にされ、その正しささえも失い、さまよえる生きた屍となった。  自分はそうなるまい。そう決めて、俺は武器を取ることにした。  大学3年の春、この世からその存在が消え去った

ステラの事件簿⑤《電子証明書、偽りと成る・伍》

 大型のタワーマシンが排気の音をうならせている。部屋の中では他に、似たような形の機械がいくつも、整然と並べられた机の上に鎮座している。それらの机は、日本の学校でよく使われるような馴染みのあるものだ。そのことがかえって、この、「企業のサーバールームのような部屋」を、より異質な空間に見せていた。  欧林功学園は市では著名な私立学校で、その独特の教育システムや進学率の高さなどから、地域の親たちに人気の学園だった。そんな学園で勤務する1人の女教師、宝城愛未は、学園の部活棟1階の、と

非・世界への誘い:調世者、黒滝四鳴

 無駄だとわかっているならなくせばいい。不快ならやめさせればいい。気に食わないなら殴ればいい。この世界は単純だった。それほどに。けれどいつしかそうではなくなった。単純では困ると考えた者が勝手にルールを課した。なぜか、誰もがそれに従わねばならなくなった。従わない者は異端とされた。それはあたかも、作られた世界だ。誰かによって与えられた偽りだ。  「灯り以外」が光の恩恵を受けない暗闇の中で、黒滝四鳴(しなり)は待っていた。周囲は一見何もない真っ黒な空間で、まるで身動きすらとれない

ステラの事件簿④《電子証明書、偽りと成る・肆》

 子供には子供の、大人には大人の領分がある。それを守っている限り、”世間” は誰にも牙をむくことはない。しかし時折、その領分を守らない人間が出てくる。それが大人であるとき、牙をむくのは周りの大人だ。  しかしそれが子供だったとき、牙をむくのは大人だけではない。その子の周りの子供達も、”世間” の名をかたり、牙をむく。 「変わったこと? んー、ないねえ……」  低く唸るような機械の音が身体を揺らす。部屋にはあちこちパイプが通っていて、赤や緑のバルブがまるで花のように無機質な部

新しく買った茶葉と、仕方がないと諦める心

 無気力などと言われるのは心外だ。それも大人から。若者よりよっぽど無気力なのは? まずは自分の心に聞いてみてほしい。ゲームも音楽も小説も、人生だって途中で放り出しかねないのはどっちなのだろう。辛うじて残っているのは仕事だけ。それすら危うくなっているのに。  でも、そんなことを言って大人と対立するのは面倒くさい。ちょっとだって得にならない。なら、口答えするのはやめておこう。  とにかく、心外だけど。 「ちょっと、お皿洗っといてって言ったじゃん」  朝のクミの声は低い。多分、太

夕焼けの赤鉛筆

 誰もが異質だと思っているが、それを言い出すことが憚られるような場合において、それを異質だと最初に表明した者は「悪」である。その実態は問われない。その実態が「正義」であっても。だから正義は為されない。  石原和也はいじめられていた。そのきっかけは些細なもので、私にとっては突然とでも言うべき始まり方だったにもかかわらず、その火はあっという間に燃え広がった。和也は小学5年生にしては珍しく聡明な子供であり、長身で力も強く、いじめを受ける前は、授業中や学校行事や、登下校中に際して、