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短編小説

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2021年2月の記事一覧

非・世界への誘い:消失者、大越美墨①

 世界には無駄が多い。袋に入ったお菓子1つ1つを包む個包装、宅配便のサイズの合っていない段ボール箱、顔を突き合わせての会議、印刷しなければ突き返される資料、好きとか嫌いとかの余計な人間的感情。  無駄は削減されなければならないのに、一向にその気配はない。私たちは無駄と共に生きている。無駄がなければ生きられないかと言っているかのようだ。もしかすると削減する気などないのかもしれない。誰かがやればいい。皆、そう思っている。  大学3年の春、大越美墨(みすみ)はこの世から消えた。な

ステラの事件簿③《電子証明書、偽りと成る・参》

 大人と子供の違いはほとんどない。ただ、年齢を重ねて経験をしているか否か、それだけだ。そしてそのことすら、その経験をきちんと自分の身に刻み込み、上手く扱えていなければ、その大人と子供の違いはないに等しいのである。 「本当に、先生が犯人じゃないんですよね?」 「違うの……! こんなの、これっぽっちも記憶にないし、アリバイ? だってあるもの!」  テレビ画面に映るある犯行現場の様子に、くぎ付けになっている男子学生と女性。  女性らしいデザインのレースカーテンの向こうから、オレン

サンライズ・シティの悲恋

 「属性」とは、最も恋愛とは関係のない要素である。それは、外側から物事を判断するために必要なものに過ぎない。恋愛に関しては、部外者があれこれと指示したり、律したり、興味を持ったりするために、属性が割り当てられる。だが恋愛は当事者同士の問題だ。  だからそこで完結すべき恋愛という事象にとって、性別や信条や国籍や、その他諸々の属性とやらは、まったく必要のないものであるはずなのだ。  ボクがその綺麗な子を見かけたのは、よく晴れた日に散歩に出かけ、いつものビロードウェイを下っていく

世界では布団が禁止になっていた。

 朝は眠い。  まどろみの中から何者かに引っ張り上げられる感覚がする。私は夢の中で赤子になっていた。今は亡き母の子守歌を聞きながら、暖かい布団の中で、ただひたすらに安眠を貪るのである。  それは至福だった。  昔ながらの家屋の中で母と2人、なんの憂いもなく柔らかな居心地に抱かれることが、ではない。  布団だ。  赤子の私の矮小な手でも握りしめることができ、そしてそれは暖かな弾力を返し、まるでこの手の中に収まっていることが母の腹にいたときから決まっていたかのように、収まりが良い

白く光る時代と室外機の影

 声を上げないことは良いことだ。だってそれは波風を立てないことだから。今の時代、どんな有名人だって、金と権力を持つ政治家だって、余計なことを言えばすぐに追い込まれる。何が燃えるかわからないのだったら、声など上げないほうがマシだ。たとえ無言のまま、消えていくような命だとしても。 「なァに、またアンタ?」  ブルーのゴミ箱の蓋を片手に、五木尊は暗闇を睨んだ。まだ白みかけた空の明かりが届かないこの路地裏には、不潔な臭いの中に小動物の気配が溶け込んでいる。もちろん、暗闇から返事が来

ステラの事件簿②《電子証明書、偽りと成る・弐》

「大人気なさ」という言葉がある。いい年をして、それに不釣り合いな言動をすることだ。  でも、大人気なさは大人に対してだけの言葉じゃない。子供だって大人げない時がある。それは裏を返せば、子供だって、大人にならなきゃならない時があるということだ。  欧林功学園に通う男子学生の体操着が、1人の若き女教師によって盗まれた。しかしその教師は学生達に慕われる人気者で、同僚からの評価も高く、人柄もよい――  学園に通う1人の男子学生、星(ステラ)は、改めてこの事件に関して、カフェテリアで

参考書を忘れて夜の校舎へ取りに行こうとした

 思いつかないから行動できないのではない。行動しないから思いつかないのだ。精神が身体を操るばかりでなく、身体が精神に影響を与えるということも、忘れてはならない。  その日、参考書を忘れたことに気づいた私は、暗い夜道を学校に向かって歩いていた。明日からゴールデンウィークが“始まる”という、素晴らしい日の“終わり”に、私は闇に向かって進んでいる。そんな私の気持ちを励ますかのように友達からのラインがあった。舞だ。 《ねーgwの課題って参考書いるってほんと?》   《うん》 《数学

災害は遠くにある

 ”災害”は、自分の今いる場所や時間から遠いものだった。それは地域と世代を壁にして、あくまでも、自分の向こう側の存在だった。  そのことは、今でも当然だと思っている。そう思わなければいけないと感じている。災害で何もかもを失くし、自分というものが丸裸になったあの時から。 「だから憶えてないって言ってるじゃん」  娘のくるみがスマホの画面から目を離さずに言った。知らない曲が、彼女の手の中からくぐもった音を立て、流れる。その曲は流行らしい。くるみがスマホを取り出すたび、その曲がB

シロナガスクジラと息子とフライト

 どうしようもない問題というものがある。どうやっても良くならない。目の前にすると絶望に膝をついてしまうようなもの。それは何故どうしようもないのかと言えば、その内容がどうこうというよりも、「どうしようもない」という事実そのものが、私たちの行動をがんじがらめにしてしまうからだ。  飛行機の上で「シロナガスクジラだ」と息子がはしゃいだ。窓の外に晴天が広がる。私は息子の指差す海を見て、見えなかったが、すごいねと笑ってみせた。  膝の上に座る息子の体温は、そのはしゃぎ具合に合わせて高

ステラの事件簿①《電子証明書、偽りと成る・壱》

 大人の方が子供より偉い。けれどそれは、大人が大人である時だけだ。世の中には沢山の種類の人間がいて、大人がいて、子供がいる。だからその中には、「大人でない大人」なんていうのがいることも、全く珍しくない。  欧林功学園に通う男子学生の体操着が盗まれた事件――その犯人は未だ捕まらず、学園はセキュリティを強化するという形で、関係者からの非難に応えざるを得なかった。学園に通う1人学生、星にとってみても、わざわざセキュリティカードなどを持たされたり、警備員に挨拶せねばならなくなったり

『世界は緑に沈むのか』緑化対策局、ナッシュの記録

  ただ無機質な機械と人工物と、高い建物とよどんだ雲が視界を埋める景色より、ただみずみずしい空気と自然と、高い山々と澄んだ空が見えるほうがよほど嬉しい。自然こそが私達の還る場所だ。作り出したものではなく、もうずっと昔からそこにあるものの一部に私達はなるべきなのである。  緊急警報が鳴った。  ナッシュははっと目を覚まし、椅子を蹴倒して立ち上がった。机においていた書類の束が雪崩を起こす。ナッシュは舌打ちをした。 「クレドのやつ、だから片付けろって言ったんだ……!」  悪態は、

日本懸賞管理法人ドリーム

 自分を肯定することは良いことだ。ある本にそう書かれていた。  そこには、日本人は自己肯定力が弱いということも説明されていて、そのままでは自分たちは、本来の力を発揮できないばかりか、その自信のなさにより周囲の足まで引っ張ってしまうと、そのようなことが書かれていた。 「はあ……」  ため息をつくと幸せが逃げる。そんな言葉を聞いたことがあるものの、藤堂二夢は今ばかりは、この巨大な後悔の塊の一部でも、口から吐き出さずにはいられなかった。  冬だ。それも今日はとびきり寒く、二夢のた

私達はなんとなく一緒にいるのではない

 独りでいることは自由を手に入れることに等しい。なんでも思い通りになり、さじ加減に悩むこともなく、なにより、背負うものが何もない。  けれど、誰かといることは楽しいということも知っている。独りではなせないことも、誰かといるからなせるからこそ、そう思うのだ。その2つがどちらも手に入ったら、それはそれは幸せなことではないのかと、私は時々そう思う。  妻と仲直りをした。  いや、そもそも喧嘩などしていないというのが妻の言い分だったが、明らかに怒っていたのは妻の方だった。私達はどち

砂漠の足跡

 1人でいることと、皆でいることはどちらがいいのだろう。まだ何も知らなかった頃、自分は、誰かと一緒にいる方がなんでも解決できる気がしていた。けれど、1人でいるほうがその解決すべき問題も、1人分で良いはずだ。そういうことから、目を背けてはいけないような気がした。  「……ふう」  ジリジリとした暑さを頭のてっぺんに感じながら、俺は重たくなった足を止めた。途端、足元の砂が、歓迎するかのように両足を沈み込ませていく。少し水分補給をするつもりで立ち止まったが、その程度の休憩でも、も