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読後感想⑤『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 みなさんこんばんは!
 今回は『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』の『第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる』(p.219~p.283)を読んで気になったことを書いていきます。

 それでは早速本文を読んでいきましょう!

 第五夜は青年が第四夜で提示された「他者に関心を持つ」ことへの反論から始まります。 その内容は「ナルシストのように自分が大好きな人には当てはまるが、自分のことが大嫌いな人が自分のことにばかり関心がいく(のは仕方ない)し、ありのままの自分ではいられない」というものです。

 これはたしかにそうですね。自分のことが大好きであれば「他者に関心を寄せること」という指摘は適当ですが、自己嫌悪が激しい人であれば、自分を好きになる必要も出てきます(自分のことが好きではないのに他者に関心を寄せることは困難です)。

 しかし、哲人は自己嫌悪が激しい人であっても部屋の中で一人きりでいる際にはありのままでいるのではないかと問いかけます。そして「ありのままに振舞う自分がいない」のではなく、「人前で出せないだけ」と指摘します。

 ではどうすればありのままの自分を他者の前でさらけ出せるようになるのでしょうか? 哲人は以下のように答えます。

哲人 やはり、共同体感覚です。具体的には、自己への執着(self interest)を他者への関心(social interest)に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要となるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。 (p.226)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 新しいキーワードが3つ出てきました。一つずつ確認していきます。

 まず「自己受容」とは、自己肯定と混同しがちですが別のものです。自己肯定の例として、点数が30/100であるのに「自分は優秀だ!」と自己暗示することです。さらに自己肯定は優越コンプレックスに繋がるものであると述べられています。

 自己受容の例として、「30点の現状」を受け入れ、点数を挙げるために必要なことを考えていくようなものです。つまり、ある問題・悩みに直面した際に「変えられるものとそうでないものを区別」し、変えられるものに焦点を当てる必要があるということです。そして哲人は以下のようにまとめています。

哲人 そう、われわれはなにかの能力が足りないのではありません。ただ“勇気”が足りていない。すべては“勇気”の問題なのです。(p.229)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 次に「他者信頼」です。ここで信用と信頼の違いが述べられています。前者は条件をつけて(銀行であれば担保を基にお金を貸す)信じることで、後者は条件を一切設けずに信頼することだと言います。

 これは理解できても実践は難しいのではないでしょうか。「信頼」の側に立つのであれば、だまされて裏切られたりすることは織り込み済みでいなければならないからです。「相手が裏切る可能性がある」と考えてしまえば、条件なしで100%相手を信じることは困難です。

 哲人はここで「裏切るかどうかは相手の課題」であり、自分は「自分がどうするか」のみを考えればいいと述べます。

 同時に、哲人は無条件に誰でも信頼しようというわけではなく、あくまで主観で「相手との関係を良くしたい」と思う人に適用すればいい、と補足しています。

 最後に「他者貢献」です。これが一番大事なところのように思います。「自己受容」と「他者信頼」を身に付けた先には何ができるでしょうか?

 本書では「他者の事を仲間と見る」ことができるようになるとしています。他者を仲間と見ることができれば「ここにいてもいいんだ」と言う所属感を得ることに繋がるからですね。

 しかし、この二つでは完全なる共同体感覚は得られないと言います。そこで必要となるのが「他者貢献」です。哲人は「他者貢献」を以下のように定義しています。

哲人 仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。それが「他者貢献」です。(p.237、238)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 ここで注意しておくことがあります。それは「自己犠牲」を甘受するということではないということです。自分のできる範疇を越えて過度に他者に貢献してしまうことをアドラーは「社会に過度に適応した人」として警鐘を鳴らしていたと言います。ここで注目するのは「他者貢献」は誰のためにやるのか? という点です。

哲人 (前略)つまり、他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。(p.238)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 「貢献」と聞くと相手の利益になっており、さらに貢献した利益が大きくなければならないと思ってしまいますが、あくまで主観でいいのですね。ささいなことであっても「誰かのためになにかしたい」という感覚が重要だということです。

 納得できる一方で、これは「偽善行為」や前に紹介した「ありがた迷惑」を正当化しているようにも感じます。行為を行う当人からすれば主観的には「貢献」している感覚があるからです。

 しかし、あくまで「自己受容」と「他者信頼」を理解していることが条件となり、偽善行為などの他者に褒められることが目的の行動はしなくなります。また、この二つを理解していれば自分の中で「他者貢献した」と思っていることがたとえ他者に「偽善者」と思われたり、「ありがた迷惑」と思われても関係ないということです。どう捉えるかは相手の課題であり、こちらが考えるべきは「相手のために何ができるか?」なのですから。

 自分の中で「他者貢献」をした際に「褒められたい」などの承認欲求があるのかどうかを観察してみるのがいいのではないでしょうか。「他者貢献」とは言い換えれば「相手に与えたい」という気持ちがメインのものであり、「もらいたい」という見返りを求めるものではないからです。

 以上、三つのキーワードを確認しましたが、この三つはどれも欠かすことのできないものであり、円環構造を成していると述べられています。ではこのようなアドラー心理学を理解して実践し、身に付けるにはどれほどの時間がかかるのでしょうか?

哲人 アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になるとさえ、いわれています。つまり、40歳から学びはじめたとすれば、プラス20年が必要で60歳までかかる。20歳から学びはじめたとすれば、プラス10年が必要で30歳までかかる、と。(p.243、244)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 若い人ほど到達できる年数が短くなりますが、年齢が高いからと言って実践しなくてもいい(実践しても無駄)ということではありません。むしろ誰でも実践することを推奨します。なぜなら社会で実践することができるものには能力が関係しているものが多いからです。

 例えば、医師や弁護士のような資格が必要なものには金銭のみならず「学力」が必要となりますし、職業としてトップレベルになるには年数だけでなくその道で活躍できるほどの能力(プレゼン・資料作成・トークスキルなど)を極める必要があります。コネや接待能力も必要となることもあるでしょう。

 しかし、アドラー心理学は実践するのが難しいものの、誰でも実践できるものです。僕自身まだまだ身に付けるには多くの年数を必要としますし、毎日実践できているわけではありません。

 特に最初の「自己受容」ですらなかなか難しいものです。『アナと雪の女王』の主題歌でも「ありのままで」という歌詞が話題になったことを覚えているでしょうか。あれは「そのままでいい」というわけではなく、「自己受容」の歌詞であるとみなせます。直せることがあるのであれば直す努力を、直せないものは受け容れることができるようになりたいものです。

 そしてこの三つを得た先には何があるでしょうか? 手段が目的とならないように何のために実践するのかを確認しておきましょう。

哲人 (前略)すなわち「幸福とは、貢献感である」。それが幸福の定義です。 (p.253)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 つまり、自分が幸福になるために必要だと言うことです。自己犠牲を否定したのは、それが幸福になるとは限らないからですね。そして他者貢献ができているかどうかは内容の大きさでも他者からの評価でもなくあくまで「主観」です。つまり、誰であっても貢献感を感じることは難しくないのです。言い換えれば「誰でも幸せになることができる」ということです。

 ここで人生のタスクを思い出してください。「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の三つです。仕事をして貢献感を得られたとしても、残りの二つを無視するような生き方をアドラー心理学では認めていません。これが難しいのです。僕自身どれか一つのタスクであればそこそこ実践することができます。

 しかし、三つをバランスよく行うことは簡単ではないです。本来はこの三つは調和して存在しているものです。仕事をしながら交友・パートナーとの関係を深め、交友関係を深めながら仕事やパートナーを見つめ直し、パートナーとの関係を深めながら仕事や交友関係を見つめ直すことで所属感が得られていきます(生活空間に敵がいなくなりますから)。

 ところが、実際は逆に年齢を重ねるごとにこの三つが対立している人は多いのではないでしょうか? 仕事を言い訳に交友関係やパートナーとの関係をおざなりにしているなどです。こうした生き方は不和をもたらし、日常生活で所属感を得られなくところがでてきます。僕自身どれか一つ、または二つに重きを置いてしまうことがよくあります。

 バランスのとれた生活が難しいのは食事とも似ていると思います。食事であれば栄養補助食品を取ることである程度調和させられますが、対人関係はそうではありません。他人が対人関係を恒常的に助けてくれるわけではないので、結局は自分が取り組んでいくしかないと思います。それなら、この機会に一緒に取り組んでいきませんか? 実践してこなかった方には自分を見つめ直すだけでなく他者を見る感覚も大きく変わって来るはずです。

 そしてアドラー心理学では「普通であることの勇気」を大切にしていると言います。自分が他者に対して有能であることを証明する必要はないということです。これは大人、延いては社会側が胸に刻む必要があります。学校では児童・生徒を優秀に育てることが期待され、それは現代日本社会を反映させていると思います。社会では高学歴・大企業に勤めていること、富裕層が是とされる傾向があるからです。

 もちろん、そこに行くことができる人は相当な努力が必要ですし、その努力は認められるべきです(お金があれば自由となる範囲が想像以上に広まることは前にも述べました)。しかし、問題はそこへ行けない人を社会が見下してしまう傾向にあると思います。「普通であること」は「無能ではない」と本書で述べられています。普通とは何かという定義も気になりますが、ここでは優秀と言えるものが特にない人として捉えておくといいのかもしれません。ここでも他者の課題(社会が是とするもの)と自分の課題を切り離すことが大事となります。

 さらに人生を登山で捉える人は、人生を線で捉えていると述べられています。これは過去と現在、未来が繋がっているという考え方であり、原因論に基づくものだそうです。アドラー心理学は別の捉え方をします。

哲人 線として捉えるのではなく、人生は点の連続なのだと考えてください。
 チョークで引かれた実線を拡大鏡で覗いてみると、線だと思っていたものが連続する小さな点であることがわかります。線のように映る生は点の連続であり、すなわち人生とは、連続する刹那なのです。(p.264)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 人生を点で考えることは有名なスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式スピーチにも出てきたのでご存知の方も多いでしょう。

 そして哲人はこう続けます。

哲人 こう考えてください。人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見わたしたときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。
(中略)
 もちろんそれぞれ別の場所に行き着くこともあります。でも、いずれの生も「途上」で終わったわけではない。ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。 (p.266、267)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 これは過去・未来を考えて落ち込んでしまう時にこそ考えたい言葉です。もちろん過去や未来のことを考えることは重要です。「今だけ楽しければいい」ことが必ずしも良いわけではないのは浮気(不倫)やギャンブル、暴飲暴食など挙げればどんどん出てきます。ここから過去や未来を考えることの必要性は理解できます。

 しかし、過度に過去や未来を考えてしまうと、現在やれること(やらないといけないこと)を無視してしまうことがよくあります。または計画的な人生設計をしてしまい、少しでも狂うと全部投げ出してしまう、なども考えられます。

 これは人生を登山のように頂上(目的地)があると考えているからこそ起こることです。人生には目的地は存在しないと本書では述べられ、現在を見ないで過去や未来に気を取られている事を否定し、「いま、ここ」を真剣に生きることを重要視しています。

哲人 人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。あなたはこれまで、「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。 (p.275、276)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 ここで述べられている「ありもしない過去と未来」というのは現在とは関係ないということだと思います。未来の目標を立てることを否定しているのではなく、目標の有無に限らず現在を真剣に生きていないことを問題としているのではないでしょうか。

 誰しも「いま、ここ」でしかできないことが多くあると思います。そしてその中でできることには限りがあり、他は切り捨てていると言えます。例えば、僕がこうして読後感想を書いている間は動画を見ることもゲームをすることも読書や勉強をすることもできません(僕はマルチタスクがまったくできないので)。

 しかし、読後感想を書くことに集中してできています。しかもこれは人生の到達したい目標を決めたものではありません(いわば自己満足です)。こうしてあらゆる場面で目標の有無に関わらず「いま、ここ」に焦点を当てることをアドラー心理学は重要視しているのです。

 それでも人生(または日常生活)の中でどのように「いま、ここ」を生きればいいのかわからず道に迷うこともあるでしょう。そんな時にはどのように道を決めればいいのでしょうか?

哲人 あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。 (p.280)
『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 つまり、道に迷った際には「他者貢献」を意識するだけで迷わない(迷っても短い時間で終わる)ということですね。

 この後最終的に青年は哲人と和解し、清々しい気分で青年は帰っていき、物語は終わります。


 いかがだったでしょうか?
 本書ではアドラー心理学をテーマにわかりやすい問答形式でお話が進んで行きました。人生のタスクなど、新しい概念が目白押しでした。実践し身に付けるには多くの時間がかかりますが、実践してみることに価値があると思います。みなさんも是非本書を手にしていただき、一緒に実践していきましょう!


最後までお読みいただきありがとうございました!
次の作品の読後感想でお会いしましょう!

○参考・引用文献
・岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(2013年12月)ダイヤモンド社


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