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読後感想②『嫌われる勇気一自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 みなさんこんばんは!
 今回は『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』の「第二夜 すべての悩みは対人関係」(p.59~p.124)を読んで気になったことを書いていきます。

 第二夜は、「目的論」を提示した哲人に対し、青年が詭弁であるとして論破しようと意気込む場面から始まります。

それでは早速本文を読み進めていきましょう!

 青年は「目的論が正しいのであれば、何の目的があって自分を嫌うのか」と哲人に問いかけます。たしかに、自分を嫌う=厭な気持になるだけ(劣等感に近い)であり、メリットは何もないように思います。
 しかし、哲人は「もし~だったら」という可能性の中に生きることによって変化しない安心を得ている(=これがメリット)と指摘します。これは前回書いたように、人間はライフスタイルを変えるのを避け楽で安心できる方を好みます。
 新年になって決めた「今年の目標」を多くの人が達成するのが難しいのも、これが関係しているように思えます。

 アドラー心理学では、悩んでいる人にあるがままの今の自分を受け入れ、前に一歩踏み出す勇気を持ってもらう(これを勇気付けと呼ぶ)ことを目的としています。
 しかし、今の自分を受け入れるというのは、まさに「言うは易く行うは難し」ではないでしょうか。    なぜなら、悩みを抱える多くの人にとって「自分のいい部分にも悪い部分にも等しく目を向け、適切に評価する」必要がありますが、その判断を行うのは簡単ではないように感じるからです。

 さらにアドラーが「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と述べているように、悩みは固定したものではなく、流動的なものなのでより困難となるでしょう。
 逆に言えば、この世界に人間が一人だとすれば悩みが消えてなくなる(そんなことは現実にはほぼあり得ないことですが)ということです。これは面白い指摘だと感じます。容姿や学歴、年収など多くの人にとって気にしやすいものは世間で評価されやすいもの=対人関係を必要とするものです。容姿が優れていれば優遇されることは多くありますし、学歴で年収が変動することも周知の事実です。

 劣等感というのは、誰が見ても劣っている事実ではなく、主観的な思い込み(解釈)であり、自分に対する価値判断である、とのことです。本書ではわかりやすく身長が低いことを例にしています。身長が低いことを劣等感に感じる人は少なくないと思います。僕もあと5センチあればと未だに思うことがあります。
 しかし、身長が低いことは劣等性(誰が見ても悪いもの)を示すものでしょうか? 身長が低いからこそ「相手が警戒心を抱きにくい」という利点があることが示されています。つまり、どの角度から見るかによって意味合いが大きく変わっていくのです。主観(後天的に変える事が出来る)であればライフスタイルと同じく、自分の意志で変えることができるということです。

 劣等感の悩みは多くの場合「いい面が隠れている悩み」なのではないでしょうか。
そして多くの場合「他者と比較する」ために劣等感を感じます。他者の目線を一度取り外してみるといい面が見えてくると思います。

 さらに「劣等感」と「劣等コンプレックス」の違いも言及されています。ここではわかりやすいように哲人の言葉を以下に引用して示します。

哲人 劣等感それ自体は、別に悪いものではない。ここはご理解いただけましたね?アドラーもいうように、劣等感は努力や成長を促すきっかけにもなりうるものです。
  (中略)
   一方の劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のことを指します。 (p.81、82)
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 なるほど、劣等感は行動するために使えるもの、劣等コンプレックスは行動をしない言い訳に使ってしまうもの、ということですね。僕は今まで後者の方を劣等感と誤認していました。また、この後で「自慢する人」も劣等感を感じていると説明されています。他者に自分の有能さを誇示しなければ安心できない、ということでしょう。
 さらに不幸自慢をする人も、不幸である自分は他の人とは異なる「特別」な存在として人の上に立とうとしている、と指摘しています。

 劣等感は行動するために使えるものであることはわかりました。では劣劣等感はどういったところから生まれるのがいいのでしょうか? 哲人は以下のように答えます。

哲人 健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。 (p.92)
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 他人の目を気にして行動していれば劣等コンプレックスに陥ってしまう高まりそうです。今の自分に足りないものを認識し、少しでも前に進むことが重要となります。
 これは僕の体験ですが、ネガティブになっている際に他者の優れている部分と自分のダメな部分を比較してしまうことが多いように感じます。他人と比較するのではなく、「理想の自分に近づくには現状の自分には何が必要なのか?」を考えて行動していくことが健全な劣等感の活用方法なのですね。

 他者と比較するということは、すなわち競争していることになります。誰しも何かにつけて優劣をつけたがるものです。現代社会では「2位ではダメ」という意識が大きいように感じます。オリンピックなどでも金メダル以外を賞賛しない人が周囲にいるのではないでしょうか。しかし、本書では競争の世界に身を置いてしまうと他者全般、延いては世間が敵になってしまうと述べています。そうした競争の世界に身を置かないためにも、人間は全員仲間なのだという意識を持つことが重要となるそうです。
 しかし、こちらが友好的に接していても相手が敵対心をむき出しにしてくることはあります。穏やかに過ごしたいのに嫌がらせをされたり、陰口を言われたり、不公平な評価をされたりなど、例を挙げれば枚挙に暇がありません。
 そうした場合はどうすればいいのでしょうか?
 哲人は絶対に挑発に乗ってはならないと言います。これは我慢しろということではなく、自分が正しいと思っているのであれば挑発に乗る必要がないのです。挑発に乗るということは、すなわち「自分の優位性を認めさせたい」と言う行為だからです。そしてそうした挑発から逃げたり、相手に謝罪をすることは「負け」ではないと述べられています。 SNSの発達に伴いコメント欄では毎日のように煽ったり誹謗中傷を見かけます。しかし、そうした煽りには乗ってはいけないのですね。もちろん、誹謗中傷などは法に則って手続きを踏むことは必要です(ここでは誹謗中傷に反論するコメントをすること=挑発に乗ること、と僕は捉えています)。

 次にキーワードとなる「人生のタスク」というものが出てきます。これは人間が社会生活を送る中で避けられないものであり、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の三つがあるようです。ここは本書でも非常に重要なところであるため、是非お手に取って一読ください。三つに共通するものとして、「何か理由をつけて逃げてはならない」ということです。仕事を言い訳に友人と交流しない、パートナー・子ども・両親との交流を避けるなどを、アドラー「人生の嘘」と言ったそうです。そこで必要なのはやはり「勇気」なのです。これがアドラー心理学のことを「勇気の心理学」であり、「所有の心理学」ではなく、「使用の心理学」と呼ぶ所以のようです。


いかがだったでしょうか?
やはり最後の「人生のタスク」が個人的に印象深いです。どうやってタスクに向き合い取り組むかが重要となっていきますね。


最後までお読みいただきありがとうございました!
次回は「第三夜 他者の課題を切り捨てる」を読んでいきます!  


○参考・引用文献
・岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(2013年12月)ダイヤモンド社


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