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読書会『山月記・李陵』レポート

半実録Bゼミ読書会リポート:栗原良子

 Bゼミは、詩人正津勉主宰で、およそ30年間、月1度継続している自由参加の読書会です。

当初は高田馬場界隈で会場を借りて実施されていましたが、2020年コロナ期より、毎月最終金曜日の夜に、リモートで実施。正津勉の博識体験と自由な指導により様々な作品から、時代や民俗の読解、参加者の率直な感想が聴ける貴重な機会になっています。

半実録第3回
課題 中島敦『山月記・李陵』
2024年5月31日(金)6:30~8:30
*源氏名・性別・年齢は、筆者判断による適当表示、発言はメモから起こした概要であることをご了承ください。

【中島敦 テキストに合わせた部分を中心にした概要年譜】

明治42年(1910年)四谷箪笥町生まれ。父も祖父も漢学者。

明治43年 2才。生母は離婚して去る。17歳までに3人の母。7才〜12才父の勤務先である奈良、静岡、京城、大連など点々とする。

大正15年(昭和元年・1926年)。3人目の母に三つ子が生まれたがその後相次いで死亡する。第一高等学校入学。

昭和5年 22才。帝大国文学科入学~大学院(25才)。膨大な読書量、森鴎外研究。

昭和8年 25才。横浜高等女学校に赴任し以後33才まで英語教師として勤務。この時期充実した多彩な趣味と執筆生活。中国をはじめ各国の文学を愛読、翻訳もした。伝えられる趣味も、乗馬、ダンス、登山、麻雀、将棋、音楽、能、歌舞伎、野球、天文学、旅行などなど。

昭和16年 33才。転地療養の目的もあって南洋パラオに赴任。『山月記』などの原稿を託して向かったが体調悪化し、翌年帰国。

昭和17年 34才。喘息の発作で世田谷の病院に入院したが12月4日死去。

 正津勉 今日は常連のタイタンとホッカイとズシウミが欠席で残念。中島敦は34才で死んでいるのよね。本当に惜しい才能です。
ではドラミから何か言ってください。

 ドラミ♀(69)『山月記』は漢語が多くて、現代では読むのがしんどいかもしれませんが、短編だけどかっちりとしたつくりで、無駄がなく論理的な文章が美しい。ずっと優秀で自信にあふれていた人が最後に気づく小さなこと、誠実さが根元にあるのがよかった。
『李陵』にも三人の武将の意外な面、捕虜になっても尊敬の念をもって扱われていたことなど、中国の意外な面を知った。 

インカ♂(73)『李陵』の原典とされる漢書(かんじょ?)という歴史書をあたってみました。司馬遷傳なども調べ、読み比べて分かったが、中島敦は確実にこれらの原典を読んでいるが、そのままでなく、中島自身の解釈で作品化しています。

たとえば宮刑を受けた司馬遷が自殺しないで、自問自答する場面、バイカル湖まで蘇武を尋ねた李陵が、降伏を勧める場面。漢書では言ったことになっている妻が子を捨てて他家に嫁いだことを、中島敦は言えなかったことに変更している。この創作は効果的だと思う。

当時、宮刑は金を積めば逃れられたのだが、司馬遷は金がなかったと書いてあった。私の解釈では、武帝は司馬遷がお金を積んで逃れると思っていたのではないか。このような小説が、東条英機が戦人訓(?)を出している時代に、よく受け入れられたと思う。

 ハッシー♂(71)『山月記』は1951年からずっと教科書に載っているそうです。自分は今回『李陵』だけ読みました。20歳の時からもう3〜4回読み返しています。
漢文の魅力、男性的で、リズミカルだが、内容は近代の心理小説。3人の心理特に李陵は近代的で、それが武帝時代とミックスしている。

 カタギ♂(58)ベースには漢民族と匈奴のぶつかり合いがあるのだが、哲学的に今の時代にも共感できる。
匈奴のことを野卑でも不合理でもないということを、中島敦は、理解していると感じました。この作品は、中島と同郷の深田久弥に託して、深田が最後まとめたらしい。

正津勉 そうです。深田久弥は編集者として卓越していました。自分も中国戦線で戦って、中国に詳しい人。中島敦の文に手をいれたのを、僕は見たことがあります。小林秀雄がこれを合作と言って絶賛しました。

 ハッシー♂(71)『李陵』というタイトルも、深田久弥が決めたようですよ。

ジョイ♀(75)私の父は文学青年ではなかったが中島敦と同期で、生前文学畑の友人たちから天才と伝え聞いていたようです。中島敦全集が発行されたときは、すぐに買って来ました。全3巻で、明るいブルーが忘れられません。私はそれを読みました。
テンポが良くて、ある意味読みやすくわかりやすい。『狼疾記』と叔父の事について書いた『斗南先生』がおもしろかった。

 カマチ♂(69)『李陵』は文章、特に出だしがすばらしい。
戦時中に、戦うことをよくここまでかけたと思う。女性が読んだ時にのれをどう感じるのか不思議に思った。日中戦争時にもこのような話はあるんです。パイロットは落ちて自殺する人もいたが、中国人が瀕死の捕虜を助けて、日本にも帰れず、救ってくれた恩義もあるから、中国に必要な情報も次第に話すようになる。妻も娶り、中国の奥地に行きそのまま、という話が実はたくさんあるらしい。

 セント♀(55)『山月記』を読みました。
「理由もわからずに生きていくのが我々生き物のさだめだ」や、自尊心と羞恥心の問題は、今の私たちも同じように苦しんでいて、ドロップアウトした虎の姿や野獣のような心を持っている人間は、現代人にも通じている。最後の虎の咆哮は、無名のまま忘れられていくことを恐れていた中島敦の叫びになっている。

 シンキュ♂(68)匈奴は、漢民族が北上した時に仏教国があったらしい。『李陵』では、二国の確執が面白かった。
『山月記』は中島敦が人間的な暗喩の中で創作しているのが面白い。もう一度『李陵』を読んでみたいと思っている。

 バード♀(55)中島敦ファンの詩人からもすすめられて読みました。
小説というより、散文詩のよう。言葉にとりつかれた人が、不幸になっていくお話。神奈川県立文学館に資料があるというので、行ってきました。
中国古典の大家の印象だが、西洋の文学にも素養があり、カフカを日本で最初に読んで翻訳した作家ともいわれています。作品の中にもカフカのことが出ている。
33才で亡くなったと思えないくらいいろいろなことをやった。159センチ、45キロと小柄で、横浜女学校では人気の先生だったそうです。
『山月記』は月の描写がたくさんありましたね。残月、光を失った月、月に向かって吠えたり、奥さんが山月記を読んで、「中島の声が聞こえるようだ」と言ったそうです。漫画もありました。他の作家と違って、パラオの文化を、劣ったものと思っていなかった、とありました。

カタギ♂(58)異民族のことを共感しているのは、『李陵』にも強く書かれていますよね。

ハッシー♂(71)南にあこがれがあったんですよね。
漢文学の家系に生まれ、文字のない世界にあこがれたが、実際にはパラオにも文字はあったんです。帰国後すごい勢いで、1か月で『李陵』を書き上げています

 ジョイ♀(75)南で健康を取り戻そうとしていたが、かえって悪化したのです。

 正津勉 日本で最初にカフカを読んだのが「荒地」グループと言われているけれど、その一員で友人の北村太郎から聞きました。
彼は語学が出来たから英訳で読んでいたけれど、そのとき、『中島敦がすでに読んでいるんだ』と、言っていました。

 カマチ♂(69)中国と匈奴が戦ったと言われているが、その境界は実際には栄えているんですよ。境界線上にできる都市は栄えたそうです。

 インカ♂(73)地名を追っていったら、すごいところに行っていると感じました。砂漠ですよねえ。

 ジョイ♀(75)よくぞこんなところに、という地域です。

 ハッシー♂(71)自分のエゴイズムを写して虎になった。虎が文学の重みを背負っていたのではないか。だから自分は『山月記』は好きでない。

 正津勉 面白さは『李陵』にある。3人が面白い。

 カマチ♂(69)海外では、中島敦は知られているのでしょうか?

 ジョイ♀(75)香港で人気らしいです

 バード♀(55)フランス語、エスペラント語にも訳されて、朗読、演劇化もされています

 正津勉 日本軍が中国人を惨殺したことは、どこかに書いていますか?

 ハッシー♂(71)パラオに行っていたとき、役人や警官、権力を持った人はきらいだったようですね。

 正津勉 このへんでどうでしょう。最後にセントさんどう?

 セント♀(55)『山月記』に出ている詩はどこか足りない。
作者はどう思っていたのだろう。先月の『田園の憂鬱』とも同じく、現実と乖離しているところがいまひとつだと思いながら読んでいました。

 リポーターまとめ

『山月記』の中に出ている唯一の詩作品には、虎になってしまった李徴の「何か足りないもの」を感じ取るヒントが隠されている。
八言律詩。即興で創作しながらも、起承転結、二句ごとの対句表現、偶数行末語の押韻、情景と情感表現の配置。形式も完璧なのである。

しかし、完璧であればあるほど何かが足りないと思わせるその何かは、李徴が最後に『本当はこの事を先にお願いすべきだった』と気が付いた、飢え凍えようとする妻子への思い、評価や名誉以前に、人としての心情…愛や尊敬の感情に気づかず、自尊心だけを太らせてしまった。詩とは、形が完璧でも、本物の詩、感動を伝える作品にはならないということを、現わしているのではないだろうか。

『山月記』と『李陵』は、国を超えた人間の良心や誠実さと、本物の知性を感じる作品であった。現在でも、高校の教科書には載っているだろうか。
中島敦は死の前年に、大量の書類を燃やしてしまったらしく、全集はわずか3巻だが、神奈川県立文学館や世田谷文学館には漢文体の作品だけでなく、その他の外国語翻訳や絵本、漫画もあるらしいので、訪れてみたい。

 正津勉 それでは。次回のテキストは、
宇野浩二『苦の世界』。

 *次回Bゼミ読書会は
2024年6月28日(金)18時30分より(案内をご覧ください)

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