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絶望と呼ぶにはまだ早い

*この文章はフィクションです


 ここでは仮に、彼の名前を四角太郎としよう。なに、顔が四角いからではない、考え方が四角いのだ。鉄板みたいにかちかちで硬い頭を、彼はいつも重そうに抱えながら生きていた。ゆらゆらと、バランスを必死で保ちながら歩いていた。
 
 四角太郎は、死にたかった。なぜ自分はこんなにもつまらない世界を生き続けなければならないのだろうと、そればかり考えていた。
 物心ついたころから、四角は死にたかったそうだ。最初に絶望を自覚したのは四歳のころだ、幼稚園でぎゃあぎゃあとわめきちらす男児たちの涎まみれの手が四角の頬にべたりと当たった。たいして会話を交わしたこともない幼児の唾液の匂いに包まれた瞬間、ぞわりと心臓が小刻みに震え、縮こまった。「非常に不愉快だからやめてくれたまえ」。そう現在の四角ならぴしゃりと言い放っただろうが、当時はほんの四歳、たいした語彙力もなく、「不快である」という感情を言い表す選択肢が如何せん少なすぎた。ゆえに、四角は感情の吐き出し口として、「泣く」という行動をとるほかなかった。
 しかしそんな四角の心のうちを大人たちは知る由もなく、結果的に「繊細な子」という雑な一言で片付けられることになった。
「これがぼくの人生において、第一の悲劇だ」と彼は語った。「繊細な子」ってなんだ。ぼくの心のなかには簡単には言語化できない鬱屈とした想いや哲学や怒りや訴えが数えきれぬほどある。心臓が揺れるのだ。一時間、一分、一秒と、時間がすぎるたび、何かを見るたびにぼくの心はぶるりと、ゆらゆらと、ときに激しく揺れる。いろいろな角度で揺れる。映像を観たとき、本を読んだとき、たとえば食卓で父と母が話しているときの微妙な表情の動き、まぶたがピクピクと痙攣するようす──。そういうもの一つひとつを、ぼくは見逃すことができないのだ。
 そんな性質を「繊細な子」というたった一言で片付けられる、その神経そのものが周りの人間たちの浅薄さをあらわしているような気がして、四角は絶望した。これから(おそらく)ずいぶん先の長い人生を、こんなにも覚悟の足りぬ人間だらけの世の中で生きねばならないのかと思うと、鳥肌がたった。けれどもその絶望ぐあいをどう言葉であらわせばよいのかわからなかったから、やはり、ぎゅむと下唇を噛み締め鼻の穴をふくらませて泣くほかなく、「繊細な子」というレッテルをさらに強固なものにしていくだけだった。
 
 「繊細な子」という雑なカテゴリーにぶちこまれたことによりますます孤独感をつのらせていった四角太郎。そんな彼が中学生になり、高校生になり、青年になり、成長していくにつれ今度は「ひねくれてるやつ」という枠でくくられることになるのは、もはや必然だったと言っていいだろう。そして彼自身はおそらく自覚していなかったのだが(私は彼の心のうちを想うとそうであってくれと願わずにはいられないのだ)、「めんどくさいやつ」と呼ばれるようになっていった。四角が大学生のころのことだ。「ひねくれてるやつ」ならまだいいだろう。ちょっと文学的な香りもするし、なんだか洗いざらしのシャツを着た儚げなイケメンをイメージさせる響きだ。だが「めんどくさいやつ」ってなんだ。もうそりゃ救いようがないじゃないか。ウザいやつをなんとかコミュニティ内で取り扱うために便宜的につけるタイプのレッテルじゃないか。
 とはいえ、たしかに残念ながら四角太郎が扱いに困るめんどくさい男であるというのは紛れもない事実であった。

 けれども私はこの四角という男を好きで好きでたまらないのだ。恋に落ちてしまったのだ。四角のことならなんでも知りたいと思ってしまうのだ。あの四角くてたくさんのロックがかけられた頭でっかちな頭の中身を全部こじあけて、私だけに見せてほしい。そんなことを思う。
 
***
 
 一年前にいなくなった彼のことを、私はこうしてときどきゆっくりと、思い出すようにしている。目を閉じて、いつ会ってもくたびれきっていた彼の姿を反芻する。「食べるという行為に興味が湧かない」と最低限しか食事をとらないせいで、カリカリに痩せ細ったひょろ長い体躯に、これまたくたびれた綿のTシャツがよく似合っていた。そうだ、自分自身にはとことん関心がないと言っていたくせに、いつも石鹸の、やけにいい匂いがしていた。一日に最低二回は風呂に入るとも言っていたことがある。「ただでさえ世間のお荷物的な存在なのに、臭いことで存在感を放つなんて最悪だ」と言っていた。
 
***
 
 彼にもう一度会いたいという思いを抱えながらこの世界を生きるのは、私にとってあまり楽しいことではない。
 悲しいことがあったとき、つらいことがあったとき、いつも真っ先に思い出すのは、親よりも親友よりも、四角の無表情な顔だ。何を考えているのかわからない顔だ。いつも私の話を聞くとき、ほんの少しだけ眉間にしわを寄せて、顎先をひっぱっている。ガードレールに横並びに座って話したときのことをよく覚えている。論理的に話せない私の、わかりにくい話にじっと耳を傾けてくれた、四角のことを。
 ねえいま、何してるの。どこにいるの。
 バランスを崩してないかな。倒れてないかな。うまく、歩けてるかな。
 私はうまく歩けないよ。歩き方を忘れちゃったみたいだよ。四角、あんたのせいで。
「君は最初から正しく歩けてたし、ぼくに会ったからきれいな歩き方が一時的に嫌になってるだけだ」
 そんな愚痴を吐いたら、あんたにそうやって言い返されそうだけど。
 
 

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