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「メンやば本かじり」脳が私にしてくれたこと編

「あなたの頭の中は大丈夫ですか?」

「いいえ、危険です」

 メンやば本かじりのページを開いてくださったみさま、突然の会話に驚いたことだろう。

 これが今朝の私の脳内会話だ。

 やっぱりね、そういうオチだと思ったよ、という方。安心しちゃまずいぜ。あなたの近くにこんなやばい奴がいるのに、安心できちゃうあなたの頭の中も十分危険だ。

 なぜ私たち(勝手にあなたも仲間に入れましたよ)の頭の中は、つねにすでにこんなに危機的状況にあるのだ!

 頭の中ではいったい何が起きているのだ!

 ちなみに、私は高校生のときに車に轢き逃げされ頭がかち割れたことがあるのだが、そのとき病院で検査をしてもらい脳があることは証明されている。

 川勢にも脳があったのだ! アメイジング!

 ただ、高校生のときの話なので、現在も私の脳がご存命かどうかわからない。  

 おそらく現在の私の頭の中には、たぬちゃん(愛猫)、本、androp(すごくかっこいい音楽をつくる四人組ロックバンド)、酒、糖類、そこらへんが入っていると思われる。

川勢の頭の中のイメージ図

 

 すまん、嘘だ。

 実際頭の中にあるのは脳だ。

 さて、私のぽんこつ怠惰脳は「何してくれるねん」と言いたくなるほど私を混乱させ、状況理解能力に支障をきたし、コミュニケーション機能は損傷している。

 私が駄目人間なのは、私のせいではないんです! コイツです、この脳ってやつが悪いんです。全部ぜーんぶ、脳が悪いんですよ!

──と、言いたいところだが、はたして本当にそうなのだろうか。

 私は脳によって支配されているのだろうか。

 知りたい、が、脳と心についての本はあまりにも多く、どれを読んだらいいのかわからない(めんどう)。

 そんなわけで今回は、脳と心についての膨大な書籍を代わりに熟読してくれたうえに、わかりすく紹介してあげようという奇特な書を紹介しよう。

 それは『心脳問題─「脳の世紀」を生き抜く』だ。

この本は、「脳の世紀」を生き抜くために必要な基礎知力を養うことを目的としています。二一世紀はしばしば「脳の世紀」と呼ばれます。近年になって急速に発展した脳科学が、人間の脳内活動を着々と解明しつつあるからです。

『心脳問題─「脳の世紀」を生き抜く』(朝日出版社)山本貴光 吉川浩満 著

書店に足を運ぶと、「最新の脳科学」の知見をシロウト向けにわかりやすく解説する本がたくさん並んでいます。なかでもとくに人気があるのは、人間のさまざまな行動や思考のありかたはすべて脳から説明できると説くお話です。ここでは、その種のものを「わたしがわかる本」と命名しておきます。(…)
本書はまず、こうした「わたしがわかる本」の内実を検討することから、心と脳の関係をめぐる探求をスタートします。

同上

 そういえば、少し前にもMBTI診断が流行っていたな。ちなみに私は仲介者タイプだったのだが、仲介者タイプと◯◯タイプは相性が悪い、なんて言葉をネットで何度も目にした。

 あの選択(そしてそれによって下される結果)は、脳と経験によるものなのだろうか。

 例えば気分が良い日と、最悪なことが続いたうえに大きなミスをした日では、まったく同じ選択をしないのではないか。

 たまたまその日、そのときの診断結果だけで、自分を、そして人との関係を決めていいものなのだろうか。『心脳問題』に教えてもらおう。

本書は、(…)「心と脳の関係」というテーマのもとに語られる言説が、いったいどのような思考の枠組みのなかで繰りだされているのかを明らかにすることを目的としました。

同上

 本書は第四章まであり、脳情報のトリック、心脳問題の見取図、心脳問題の核心、心脳問題と社会と続き終章の持続と生で締めくくっている。

 うーんなんだか難しそうだなーと私なんかはもくじだけで二の足を踏んでしまうが、本書は各章を簡単に説明までしてくれているのだ。

1 心と脳の関係を考えるためには脳科学だけでは足りず、
2 なんらかの哲学が必要とならざるをえないが、
3 さりとて哲学によって問題が解決されるわけでもなく、
4 なにが問題となっているかを現実の社会的条件において考える必要がある

同上

 ふむふむ、心と脳の問題はこれさえ押さえておけば大丈夫、なんてことではないのね。

「科学的根拠」を(…)差し出されると、そのまま納得せざるをえないような気もしてきます。(…)あなたの性的衝動はあなたのセックス中枢のしわざにすぎないということになり、あなたが泣くのは脳の中の感情中枢が働くからだということになりそうです。つまり、あなたは自分の意志でさまざまな選択をしたり行動をしたりしているつもりかもしれないが、じつはあなた自身の脳に操られているだけなのだ、と。

同上

 うんうん、そういう気がしていたのよ。でも違うのね。

しかし、「ちょっと待って」とも言いたくなります。(…)恋人といっしょにいたいと思う理由は、少なくともあなた自身にとっては、視床下部が活動するからではなく、その相手が好きだからだとしかいえないのではないか。また、自分が泣いたのは大好きだったおばあちゃんが死んでしまったからだとしかいえないのではないか。つまり、脳の中がどうなっていようと、自分にとっての問題は相手が好きだということや、大切な人が死んでしまったということ以外にないのではないか、と。

同上

 なるほど。脳の反応だけがすべてなら、なぜ好きな人とずっといっしょにいたいと思うのか。最終電車に乗り込むとき、別れがつらいのはなぜか。冷静に考えれば終電に乗って帰るのは当然の行為ではないか。しかし、好きという感情が判断を鈍らせる。苦しくて仕方ないというこの好きという感情も脳の反応によるものだけなら、矛盾が生じる。

 脳と心とは別ものなのだろうか。

人には心と呼ばれるなにかがあること、脳と呼ばれる器官があることは明白なように思われます。(…)心と脳とはいったいどのように関係しているのでしょうか。

同上

 この問題を本書は、紀元前五世紀の医者ヒッポクラテスの言葉から引いてくる。

われわれの快楽、喜び、笑い、苦痛感、不快感、悲哀感、号泣も、ひとしくここ(脳)から発するということを、人々は知らねばならない。

同上

 ヒッポクラテスの考え方は現代でも通用しそうだ。

 さらに本書は、プラトンやアリストテレス、ガレノス、そして医師のエガス・モーニスが一九三五年に考案した「ロボトミー手術」へと続いていく。

心と脳の関係を探求する研究においては、それぞれの研究者が心をどのようなものと考えているかを抜きに考えることはできません。

同上

対象を眺める視線の位置によって「同じ」対象がさまざまな「ちがう」構造として見えてくる(…)。対象を眺める焦点が変化するとき、わたしたちはそのつどなにを見ていることになるのかということ自体が熟考を要する問題であることを示唆しています。

同上

 聡明な研究者もやはり人間だ。その研究者が心をどのようなものとして捉えているかを頭に入れて読まないといけないと本書は教えてくれる。さらに、心をどのように扱うのか、行動にあらわれない心の働き、第三者に伝えることが難しい微細な心情、そしてさらにそれを第三者がそのまま理解できるか、という問題を留意する必要があるという。

 そうなのだ。わたしたちは、誰もいない、なにも変化の起きない世界でなんて生きていない。

 つねに第三者あるいは、自分ではコントロールできない現象によって感情が生まれ、行動しているのだ。つまり自分の脳だけがすべてであるはずはない。

脳という器官と脳科学の重要性をともに認めたうえで、脳中心主義によって盲点となる問題を二つ指摘しておきたいと思います。
一つ目の問題は、それが一般に社会的・政治的な事柄を思考不可能にすることです。

同上

 ここで本書は、自分に都合の悪いことや知りたくない情報を人は遮断してしまうことを指摘している。確かに、人は知っているはずなのに、聞いたはずなのに、経験したはずなのに、自分の都合でなかったことにしてしまうことがある。

脳中心主義の二つ目の問題点は、それによって「身体」という視点が抜け落ちてしまうことです(…)。いうまでもなく脳は身体の一部であり、また身体の一部として働いています。そして環境と接しているのは、脳ではなく身体です。

同上

 心の変化が起きるのは周囲の環境、社会も問題になってくる。この件に関して本書はアフォーダンス(環境が生き物に提供する価値)という概念で説明してくれる。

 わたしたちの感情や行動は、脳だけでなく、周囲の環境による影響もあり、さらに脳を構成するニューロンはみな同じだが、人はそれぞれ違うということを本書は指摘している。

あなたの脳もわたしの脳も、脳科学があきらかにしつつある脳のスペックを備えているというレヴェルでは「同じ」だということができます。(…)だからといってあなたの脳とわたしの脳が完全に同じであるわけではありません。というよりもむしろ、ちがっているはずです。

同上

 そうなのだ。性格診断結果が同じ「仲介者」の人には会ったことや会話したことが何度もあるが、私とまったく同じ人に会ったことはただの一度もない。

 つまり、診断結果で自分はこうだとか、こういう結果の人とは相性が悪いとかを決めてしまうのは、それだけ自分の世界を狭めてしまっているのではないか。

 とはいえ、自分がわからないままは不安だし、「これが答えだ!」なんて言われるとほっとする部分もあるのは事実だ。もやもやするこの気持ち、どうしたものか。こんな気分をすっきりさせてくれる言葉を本書は『すばらしい新世界』(人の欲望などを完璧にコントロールした社会を描くSF小説)を例に、こんな言葉を用意してくれていた。

どうせ人間のやることです。完璧はありえません。

同上

 そうなのだ。いくら私や他者を解説してくれる本(情報)を読んだところで、いままで完璧な社会がつくられたことなんてただの一度もなかったじゃないか。

 転んで痛い目にあって、失敗をしないようにとしながらまた転び、そうして人は生きてきたのだ。
もちろん、私が知らないだけで完璧な人生を歩めているのかもしれないが、その人の完璧を完璧に理解できることないのだ。

誰一人としてまったく同じ生を生きるということはありえません(同一の時間に複数の人間が同一の空間を占めることはない、という簡単な事実を考えてみてもわかります)。

同上

 脳だけがすべてでも、環境だけがすべてでもなく、とても複雑な世界で誰一人としてまったく同じ視点で同じ経験をすることなく、私たちは生きている。

 この複雑な世界で生きているのだから、出会えて、さらに気が合う、あるいは好きになるなんて思えることが奇跡みたいなものなのだ。

 ああ。そっか。そうだったのか。

 いままで私と出会った笑顔で接してくれた人たち、奇跡の人たちに、感謝。


◾️書籍データ
『心脳問題─「脳の世紀」を生き抜く』(朝日出版社)山本貴光 吉川浩満 著
 難易度★★★☆☆ 巻末のブックガイドは必読! 

自分がどういう人間なのか、なぜか会って話したこともない相手に判断してもらって、安心していた自分がいた。いやあお恥ずかしい。本書はただそういう判断の甘さを指摘するのではなく、著者のお二人による膨大な読書から良書の重要な部分だけを教えてくれるという、まさに奇跡の書だ。

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