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「メンやば本かじり」ねこ愛は人生を豊かにする理論を証明せよ編

 みなさん、ねこはお好きだろうか?

 ねこはいいぞお、ねこは。

 おひげをしゃもしゃもっと揺らし、ちっちゃな牙を見せ、大あくびをする。

「なでて、なでて」と頭突きをし、顎下にすっとブラシを通してやるとすぐに喉を鳴らし、ご満悦。

 ああ、ねこって最高だな。さっきまで、私、何にくよくよしていたんだっけ。 

 ねこを愛すること≒人生を豊かにすることと

 この式は、ほぼ完璧といってよろしい。

 とはいえ、私の話だけではあまりにも覚束ないだろう。そこで、このねこによる人生豊か論を裏打してくれる、そんな素晴らしい作品を今回はここに示したい。

 ねこへの愛を全面に押し出してくる、そしてその愛が故に幸福が生まれる小説、それは『夏への扉』(早川書房)だ。

 舞台は一九七〇年のアメリカ。現在のルンバを思わせる掃除ロボットやCADを思わせる製図マシーンを発明したダンは、親友であるマイルズと会社を立ち上げる。ダンは研究と開発に没頭し、経営はすべてマイルズに任せていた。

 ただ、仕事一筋で、他は無頓着というわけでもない。彼には、非常に手間がかかり、相手の要求を飲むしかない──間違っても、邪魔されたなんて癇癪を起こしてはいけない──同居人、いや同居猫がいる。それは、雄猫のピートだ。

 ダンはねこへの愛を力説する。

「猫の場合はたたいたりしちゃ絶対だめだ。なでてやらなきゃいけないんだよ。それに猫の爪の届く範囲で、急激な動作をしてもいけない──つまり、こっちがこれからなにをするかを、猫に理解するチャンスをまず与えてやらなくちゃいけないんだ。」

『夏への扉[新版]』(早川書房)ロバート・A・ハインライン 著 福島正実 訳

 ところで、タイトルにある夏への扉、これはねこ好きの人ならもしかすると気が付いたかもしれない。そう、ねこは寒さによわく、いつだってあたたかい場所を探しているのだ。

冬が来るとピートは、きまって、まず自分用のドアを試み、ドアの外に白色の不愉快きわまる代物を見つけると、(馬鹿ではなかったので)もう外へは出ようとせず、人間用のドアをあけてみせろと、ぼくにうるさくまとわりつく。
彼は、その人間用のドアの、少なくともどれかひとつが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。

同上

 ダンは、ねことどう接するべきかを習熟している。

 ねこが興奮したときは、相手が落ち着くまで根気よく待つこと。ねこは決して怒ったり、躾けようなんてせず、忍耐をもって何度も優しく教えること。

 ねこと暮らすためには、まずねこを尊重すること。

ぼくは、眠りこんでいる小猫をおこさないために、高価な袖を切り捨てたという昔の中国の官史の話に、心の底から同感するのである。

同上

 す、すごいな、ダン先生。

 自分の着物を切ってでも、ねこの眠りを守る精神、尊敬します。ただ、本当に切るかどうかかはさておき、気持ちは私もわかる。

 どれだけ足が痺れようとも、火にかけた鍋から焦げた臭いが漂ってこようとも、膝の上で眠ったねこは起こしてはならない。生理現象も極限まで我慢する。そこらへんは、ねこと暮らすなら日常茶飯事だ。

 なんだ、ねこと暮らすのはただただ自分が我慢するばかりか。ねこが好きでない人は、そう思うかもしれない。しかし、ねことの暮らしによって培った精神は、ダンを襲う数々の不運から救うことになるのである。

 そもそも、ダンが発明に情熱を燃やし、またその発明品が人びとに受け入れられたのも、彼が人が快適に暮らす(または仕事をする)ためにはどうするかを、自分の才能と思い込みの押し付けではなく、相手の要求に応えようとしたからだろう。

 ダンは、市場や人びとの心理操作や、商業的撒き餌をばら撒く才能はない人間だ。

 もしそんな才能があるのなら、親友で共同経営者であるマイルズや、恋人で会社の美人秘書であるベルから騙されて冷凍睡眠させられるなんてこともなかっただろう。

 そう、なんとダンは親友と恋人から裏切られ、冷凍睡眠をし、三十年後の未来へ行くことになるのだ。

 三十年という時間は、人間が生きていくうえで経験できる可能性が高い間ではある。なので、想像もつかない世界になっている気があまりしないかもしれない。ただ、突然三十年後の世界に行くとなると、人は対応するのにかなりの労力を費やすことになるのだ。ダンは家電製品の発明家だが、三十年という時は無情だ。実際、われわれも生活もそうだ。

 初代iPhoneが発売されたのは、ニ〇〇七年。つまりまだ、二十年も経っていない。世界初のワイヤレスイヤホンは、ニ〇一四年だし、ドラム式洗濯機が日本で販売されたのはニ〇〇〇年なので、こちらも三十年は経っていない。

 つまり、三十年前の技術は企業や社会が求めているものではないということだ。彼は未来まで来て、公園で寝泊まりをし、不審者として警官に連行されてしまう。

 だが、ダンは諦めない。ダンの原動力は、元ビジネスパートナーであるマイルズや、元恋人であるベルへ復讐ではない。愛猫のピート、過去に残してきた信頼すべき人、そして自分のために、彼は心を腐らせることなく、職にありつき、スクラップ工場で働く傍ら、図書館に通い詰め勉強するのだ。

 この精神力だけでも素晴らしいのだが、彼の魅力はそれだけではない。ダンは、人が好きで、人を信頼し、人のために何が自分にできるかを考えるということだ。

なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。

同上

 そうなのだ。人を信頼しないことには、私は生きていくために、必要なものを手放すしかないのだ。では裏切られないように生きるには、もしくは完全に手放せば裏切られずに生きていけるのか。そんな極論は、本書を読めば無益だとわかるだろう。

 人を、そしてねこを心から愛し、信頼することで生まれた、読んでいて救われる『夏への扉』。ダンみたいに人生うまくいくもんか、と言いたくなるときは、ダンみたいな不幸もそうそう人生で起きないということを思い出せばいい。

 人は失敗し、失敗し続けて、それでも自分を信じる心と、忍耐力は失ってはいけないのだ。

 ふさぎ込んで何もかも拒絶したいとき、「ナーオウ」と鳴いてこちらに要求をしてくるねこの声を思い出してみようじゃないか。

 夏への扉を根気よく一緒に探してみるか、それとも何もかも放棄するか。

 未来への扉──さあ、ねこと一緒に探してみるのは、どうだろう。


◾️書籍データ
『夏への扉』(早川書房)ロバート・A・ハインライン 著 福島正実 訳
 難易度 ★★☆☆☆ 長編であるが、テンポがよく、非常に読みやすい

 新版あとがきで知ったのだが、山崎賢人さん主演で映画化されていたようだ。著者であるハイライン氏は、執筆時ピクシーというねこと暮らしており、ねこを愛する気持ちが惜しみなく詰まっている。ねこへの接し方の説明も、ねこを溺愛している人なら首肯の連続だろう。後半の爽快な展開もまた読んでいて楽しい。これだけ斬新な内容も、謎もなく、読後に満足感が得られるのは、稀有な作品だといえる。


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