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『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)伊藤 亜紗 著

自分以外の生きもののその生全体のあり方を理解することは、想像の中でその生きものに「変身」してみる」ことなしにはできません。

 自分と完全に一致する存在はこの世にいる筈もなく、つまり自分が自分であるためには必ず他者と異なる部分がなくてはならない。

 違いこそがこの世界の全てであるはずなのに、私はつい自分との共通点ばかり探してしまい、異なる部分への理解は怠りがちである。と言うか、どう理解して良いのか実際よく分かっていない。

 例えば、白杖や盲導犬と共に歩いている人とすれ違ったとき、今まさに書いた通り自分とは異なる部分──白杖と盲導犬──に視覚から得られる情報が集中する。そこには、点字ブロックの上に障害物は無いかなどの最低限のアクションを起こすために必要な情報であるからではあるが、結局は何も無いまま過ぎ去っていくばかりだった。もちろん過剰な反応は相手にとって迷惑なだけだろうが、そもそも目の見えない人がどういう状態で歩いているのかすら私は理解していない。

 そんなある時出会ったのが『目の見えない人は世界をどう見ているのか』である。

 そもそも、このタイトルが衝撃的だ。

 目が「見えない」と言った後で「見ている」とは一体どういうことだ。矛盾しているではないか。

 だが、読み進めていくうちに、矛盾しているという発想こそいかに私がものごとをよく「見ていない」かを痛感させられた。

 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は、目の見えない人が体験していることを驚くほど分かり易く解説して貰えるのと共に、その思想は多くの場面で応用出来る書籍だ。

 ちなみに、著者の伊藤 亜紗さんは大学時代生物学を研究されており、その途中で美学の道へと進まれた美学者である。

美学とは、芸術や感性的な認識について哲学的に探求する学問です。もっと平たくいえば、言葉にしにくいものを言葉で解明していこう、という学問です。

 生物学と美学の視座から、目の見えない人がどのように世界と接しているかを実感として感じていく。うーん、何だかやたら難しい専門用語の羅列が続きそうだ。

 と最初は伊藤さんの肩書にすっかり怯んでしまい、買ってみたものの「最後まで読めないかも」という淡い不安が漂っていた。

 しかし、そんな心配は一切無用だった。専門的な知識が皆無である私にもするりと最後まで読ませてくれるほど、親しみやすい表現が使用されているのだ。

 それはまるで、見えていなかった世界が輪郭を現し、もう一つの現実と出会えるような感覚だった。

 さて、「目が見えない人の世界を体験してみよう」と言われるとつい目を閉じ歩き出そうとするのは……私だけでは無いと思いたい。目の見えない人は常に闇の中にいるイメージを恥ずかしながら私は持っていた。しかし、この偏見はあっさり否定される。

 目が見えない人は、空間をどのように「見て」いるのか。

 例としてあげられていたのが、伊藤さんの勤務先である東京工業大学と最寄の大岡山駅を繋ぐ道をどうとらえるかという話しだ。駅から大学までは緩やかな下り坂だ。大抵の目が見る人はこの坂を下る時、目の前の道を直線としてとらえているだろう。

 しかし、伊藤さんと共に歩いていた全盲の木下さんは「大岡山はやっぱり山で、今その斜面をおりているんですね」と仰ったそうだ。彼にとって、道は二次元的な直線ではなく、立体的なのだ。どうやら空間全体を俯瞰的にとらえているらしい。

人は、物理的な空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。 


 突然だが、ちょっと富士山を想像してみて欲しい。イメージを絵に描いてもらうのも良いかもしれない。目の見えない人が「見ている」富士山のイメージが本書にあるのだが、それは私なんかが頭に浮かべるものよりずっとリアリティーがあり驚いた。私は見ているつもりでいかに思い込みで作られた世界を「目の前に広がる現実」だと勘違いしていたのだろう。いやいや、実際は広がっているどころか、随分と部分的な情報だけで満足しており、ほとんど何も「見ていなかった」のだ。

 この他にも、いかに自分が思い込みで生きてきたのかと気付かされる、目から鱗な話が満載だった。

 目の見えない人には触ってもらうことが一番の理解へと繋がる、これは果たして事実か。「自立とは依存先を増やすことである」とは一体? 目の見えない人の美術鑑賞とは。「感情の節約」で不自由さをユーモアに変えることが出来る。

 本書には驚くべき「ものの見方」で溢れている。

 さぁ、あなたが見ている世界は広いか狭いか、はたまた光で溢れた暗闇か──確かめてみて欲しい。読み終えた後、あまりに多くのものが見えるようになってしまい、思わず目を閉じてしまわないようにご注意を。

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