分からないことを素直に分からないと言う勇気
最近、忙しかったので、「つぶやき」がメインになっていました。
今の私のマスクに対するスタンスは以下の通りです。
今更、「マスクを着けよう」と呼び掛けることはしませんが、例えば、デンマークのマスクの論文をマスクを着けない根拠とするようなことは、引き続き、止めて欲しいと強く思います。この論文の内容を歪めて紹介する人は、他の論文でも同じことをしている場合がほとんどなので、注意する必要があります。
少し前になりますが、Twitter(現X)の反マスク界隈で、「マスクが子供の発達に影響を与えるという科学的根拠(論文)が出た!」ということが話題になりました。
その根拠とされたのは、米国医学会科学誌「JAMA Pediatrics」に掲載された、京都大学の佐藤豪竜(@koryu0610)先生らの論文でした。そして、産経ニュースは、「コロナ禍で5歳児に4カ月の発達の遅れ、施設閉園やマスク着用が影響か 京大など発表」というタイトルで、この論文を紹介する記事を公開しましたので、広く知られることとなりました。(現在、記事タイトルは訂正されています。)
結論から先に言えば、この論文は、反マスクたちの期待していたようなものではありませんでした。以下は、京都大学のプレスリリースから論文の概要を引用したものになります。
ちなみに。反マスクは、以前から、佐藤先生と同じ京都大学に所属する、明和政子先生の著書や記事(論文でない)を根拠に、「マスクの着用で子供の発達が阻害される!」と主張していましたので、もしかしたら混同している人がいるかもしれません。(明和先生は、JAMA Pediatricsに掲載された論文の著者に含まれていません。)
中には、科学的根拠ではなく、『感覚的』に、「子供にマスクをする・マスクで顔(表情)が隠れたまま子供と接するのは、子供の発達に良くないのでは?」と考える人もいるでしょう。そう考える気持ちも分かります。
マスクと同じように、顔(表情)が隠れてしまうサングラスについても、「子供にサングラス?」と驚かれる方がいるかもしれませんが、大人に限らず、子供、特に新生児の眼を紫外線のダメージから守るためには、サングラスをした方が良いと言われています。
科学的根拠を元にするならば、マスクやサングラスで顔(表情)を隠しても、子供の発達に、大きな懸念となるほどのネガティブな影響は見られなかったという論文があります。
以上のことから、コロナ禍でも、「質の高い保育環境」、「感情を込めた声掛け」が子供の発達を守る可能性が示唆されています。
可哀想な話ですが、大人たちの技量不足(対応力不足)のせいで、子供の発達が阻害されてしまったと言えるかもしれません。
個人的な意見として、脱マスクではなく、『奪マスク』と呼ばれるような、保育・教育現場でマスクを積極的に外すように指導することは止めて欲しいと思います。
仮に、保育・教育現場が、「私たちは科学的根拠ではなく、感覚的にマスクは子供の発達に悪影響を及ぼすと考えているので、マスクを積極的に外していきます!」と宣言し、それに、親御さんが賛同しているのであれば、私から言うことは何もありません。しかしながら、そういう動きはないように思います。
保育・教育現場で、大人たちが自分たちの技量不足を認識しているかどうかは分かりません。おそらくしていないでしょう。技量不足を改善する気がないから、『奪マスク』で、コロナ禍前と同じ環境にすることで、子供の発達を守ろうとしているように思えてしまいます。
それは、正しい解決策でしょうか?
産経ニュースの記事のタイトルは明らかに誤りであり、この記事に反応した反マスクは、タイトルに騙されてしまった人たちという見方ができるかもしれません。しかしながら、多くの反マスクは、該当ツイートを削除すれば良いだけにもかかわらず、振り上げた拳をそう簡単に下すことができません。
実は、この2つの選択肢はどちらも正しくありません。
正解は、「3)分からない」です。
論文の共同筆頭著者・責任著者の佐藤先生もそう言っておられますし、引用リツイートなどで、同様の指摘をする人が「2)無関係」を選択した人より多いように思います。
<分からないことを分からないと言う勇気>
コロナ禍で台頭してきたSNS上で支持される『専門家』たちは、「分からない」をほとんど言いません。最早、NGワードのようになっていると思います。
SNS上で支持される『専門家』の特徴は、「〇〇の可能性はありますか?」という一般人の質問に、「分かりません」と答えるのではなく、「その可能性はあります」と答えることにあると思います。
そういう人たちは、最終的に、ほんのわずかな、無視できるレベルの可能性でさえも一般人に大きく見せるようになります。そのことは、「スパイクタンパク質のmRNAのヒトゲノムへの組み込み問題」や、「mRNAワクチンへのプラスミドDNAの混入問題」などの経緯を見ていても明らかでしょう。
あくまで一例として、海外で男性に混じって外科医を続けるというのは、相当大変なことだと思います。「分からない」と一言でも言えば、能力が不足していると判断されてしまい、蹴落とされてしまうような環境かもしれません。
私の所属するK大学の学生についても、「分からない」を言わない学生は多いように思います。もちろん基礎的な能力は抜群に高いので、そのまま「分からないことはありません!」で通る学生もいます。(もしかすると、SNS上で支持される『専門家』たちもそういうタイプの学生だったのかもしれません。)
しかしながら、学生の面倒を見る立場になった今、分からないことは「分かりません」と言ってもらった方が助かる場面も多いように感じます。分からないことを明らかにするために研究をしているのだから、分からないことは多くて当然だと思います。そのことで能力が不足していると、私は思いません。
同様に、専門家に質問して、「分からない」と言われても、そのことで、専門家としての能力が不足していると考えるべきではないと思います。
もちろん、ただ「分からない」と言うのではなく、「〇〇は分かっているけど、△△は分かっていない」と答えるのが最適だと思いますが、分からないことは素直に分からないと言う・言える状況を作ることは、私は大事なことのように思います。
以上。
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※ この記事は個人の見解であり、所属機関を代表するものではありません。
※ この記事に特定の個人や団体を貶める意図はありません。
※ 文責は、全て翡翠個人にあります。
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