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【連載】『マスター千一夜』 #0002

 本稿は私がマスター業を務める阿佐ヶ谷のバー『浪漫社』でかつて発行していたフリーペーパー『ろまんしゃ通信』の同名の連載、2017年6月5日号からそのまま引用しました。
 諸般の事情からペーパーとしての同誌は現在は発刊しておりませんが、この連載は今後『note』にて続けていきたいと思います。
 ペーパー時代には出来なかった各項目へのリンク(Wikipedia、音楽、動画など)もございますので、必要に応じてご参照ください。

浪漫社マスター「バーと馬鹿楽」こと大衆文化研究家「本郷隼人」

◆第二夜『ニッポン無責任世代』②

 個々の人を形作る〝成分〟は多種多様ですが、私の場合はどうしても「テレビ」を外すわけにはいきません。

 地域や家庭環境など生まれ育ちの違いもあるので一概には言えませんが、おそらく私の生年1962/昭和37年を挟む前後5、6年ぐらいの世代が、いわゆる「テレビっ子」のド真ん中なのだろうとつねづね考えています。

 よく「昭和とテレビ」というと力道山の空手チョップに代表される街頭テレビや、家庭にテレビを一気に普及させたという皇太子(今上天皇)と美智子様の成婚パレードが紹介されることが多いですが、私はそれらは知りません。

 ただ、当店ろまんしゃ(注)の私よりも年長のお客様何名かにも実際にお伺いしたのですが、そうした黎明期をリアルタイムで知っている世代はむしろテレビそのものに対しての思い入れは少なく、受けた影響もそう多くはないようなんですね。
 テレビが最盛期を迎える頃にはこの世代の方々はすでに成人あるいはそれに近く、「右手に朝日ジャーナル、左手に平凡パンチ」ではないですが、もうテレビでもない年齢になっていたからでしょうか。当時テレビの急激な人気に対してジャーナリストの大宅壮一がテレビをして「一億総白痴化」という言葉もありました。

 逆に私より5年から10年ほど年下の世代になると、ゲームやコンピュータといった、より新しいメディアの影響が大きいようです。
 もちろんテレビは引き続き視られてはいたものの、私の世代ほどには〝気持ち〟として君臨してないようなんですね。ワンオブゼムに過ぎないというか、かの世代は2017年の現代にも通じるメディアの多様化や個への指向の始まりとも言えそうで、そういう意味では私の世代は「プレ現代」なのかもしれません。

 さてハナシ戻ってこれが私の場合は、本当にテレビ。多分にもれず青年期には深夜放送などラジオにも夢中になり、映画青年の時期もあり、またインターネット前夜からネットワーク・コミュニケーションに熱中もしましたが、個人的な成分比率としては圧倒的にテレビです。

 音楽、美術、文学、映画、さらには酒や食そしてエロ(笑)など私の趣味や興味の対象は多岐に及びますが、そのほとんどがまずはテレビというフィルタがあり、そこから拡がっています。
 例えばですがデキシー、マンボ、チャチャなどは三十路を迎える頃に好きになった音楽なのですが、振り返るとその原体験が『魔法使いサリー』のオープニングやエンディングの音楽にあったということに、四十路を迎える頃にあらためて気づいて驚いたものです。

 こうした例は枚挙に暇がなく、歌謡曲や音楽番組は言わずもがな、当時は「テレビまんが」と呼ばれたアニメや特撮、海外物も含むテレビドラマ、ドキュメンタリー、バラエティなどの音楽、そしてかつては毎日のように各局で放送さ れていた洋画劇場で知っ た映画音楽などが、私の音楽趣味の原点であるといっても過言ではありません。初期のNHK『みんなのうた』なども外せませんね。

 また私はちょっとした CMソング(コマソン)コレクターでもあるのですが、映画音楽は別としてもこうしたテレビが娯楽の中心だった時代の音楽たちはいま聴いても本当にとても——あえていいますが——高級で、ただのノスタルジーを超えて飽きるということがありません。なんというか打算や妥協が感じられず、音楽に限らずテレビを形作っている全体が、一所懸命にとにかく面白いものを発信しようとしていた姿勢や気概が感じられるのですね。

 どの世代や時代にも色々な良さがありますが、少なくとも私個人としては(そしてたぶんママにとっても)、テレビ最盛期が自分の〝成分〟になっていることを凄く感謝しています。

 現代のようにネットですぐに情報を得られたり世界中に向けて自ら何かを発信出来るようなものではありませんでしたが、「テレビ的なもの」に憧れとか理想などを感じられたことは大きかったんだろうなと思います。もちろん中には怪しげなものやあからさまな嘘、さらには後年の重大事件の萌芽となってしまったようなものたち——このことはまたいずれしっかりと語るつもりです——もあって手放しで礼讃もしませんが、そうした負の要素も含めテレビには〝育まれた〟なあと思うのです。

(ニッポン無責任世代③に続く)

注)本稿執筆時点での店名は「ろまんしゃ」でしたが、現在はママと私の10数年来のプロジェクト名である『浪漫社』と表記しております。


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